あの日、何を報じたか1945/8/2【家庭へ瓶詰めの塩水 お塩代わりに配給考慮 植木専売局長官と問答】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈本土決戦を目睫(もくしょう)に控え特攻兵器をはじめとする軍需生産に、国民の体位保持増進に塩の増産は最喫緊事とされ、政府はさきに大蔵省内に塩増産本部を設置し国内製塩の振興、輸移入の確保、配給など、工業塩ならびに食用塩に対する広範適切なる対策を講じつつあるが、緊迫せる現戦局下、各種の隘路が山積して塩の需給見透しは楽観を許さざるものがあり、この際さらに徹底した対策の確立が要請される〉

 1942年に配給制となった塩は戦況の悪化に伴い、その供給も厳しくなっていった。記事では記者団と大蔵省の専売局長官の問答が繰り広げられている。

 冒頭、記者側から配給制導入以降の取り組みについて〈相当の熱意をもって対策が講じられてきたがその間の成果はどうか〉という質問が飛んでいる。

 長官は意外にも〈遺憾ながら見るべき成果がない〉と認めている。そして需給状況については〈前年度のストックによりかろうじて計画通り行っているが、第3四半期以降においては輸移入の途絶ということも予想しなくてはならぬ〉と厳しい見通しを示す。

 その他、増産に向けては業者が学徒動員による増産分に関して特配を許す方針であることや、業者が責任生産量を超えて製塩できた場合は、奨励金を交付したいという旨も記されている。

 見出しにあった「塩水」についての言及は記事の最後の部分にあった。専売局長官はこう話している。〈食塩の代用として鹹水(かんすい)の使用を考えている。場所によっては鹹水は石炭がなくては塩にならぬようなところもあるが、一定地域では鹹水をもって食用塩に代替させることも考慮している。輸送上の困難はあるが一般家庭には瓶詰め鹹水を配給しなくてはならぬこととなるかもしれない〉

 塩を生成する前段階の濃い塩水「かん水」の配給。もし9月以降も戦争が続いていたら、現実のものになっていたかもしれない。(福間慎一)

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