父は「うちは誰も死んどらんけん、人に言うたらだめよ」と言った 言葉を刻む(45)

西日本新聞 社会面

父は「うちは誰も死んどらんけん、人に言うたらだめよ」と言った

 (長崎市、山田フジエさん)

 1945年8月9日、爆心地から約800メートルの場所にあった自宅に職場から戻ると、家にいた父はそう言った。爆心地周辺には電車の窓からぶら下がった半焼けの遺体や、人の形をした黒焦げのものが転がっていた。「家族全員が生き残ってしまったことを父は恥じたのだろう」。被爆から約2週間後、母と妹が亡くなり、父も9月中旬に絶命した。2012年、89歳の時に取材に語った。

   ◇   ◇

 西日本新聞は戦後75年の節目を多角的に伝えていきます。戦争世代にしか語れない証言、後世に残したい手記、保管している資料などの情報を以下の要領でお寄せください。内容に応じて、記者が問い合わせや取材を行います。

 住所、氏名、年齢、連絡先を明記し、手紙かファクス=092(711)5110、無料通信アプリLINE(ライン)で「あなたの特命取材班」へ。

 【宛先】〒810-8721(住所不要)西日本新聞 あなたの特命取材班

長崎県の天気予報

PR

長崎 アクセスランキング

PR

注目のテーマ