「君幸いに健康に」戦地の息子と、父が交わした70通 望郷と覚悟つづる

西日本新聞 一面社会面 久 知邦

≪拝啓 内地も若葉萌(も)え桜花咲き香る春の訪れを見た事と存じます≫

 1940年春、中国広東省で警備に当たっていた深田文次さんは、福岡県の父親に手紙を宛てた。二十歳で陸軍に入隊し、日本軍の占領地に着いたばかり。所属する歩兵第124連隊は、日中戦争勃発から連戦連勝で士気は高かった。

 「南支」と呼ばれたこの地の気候は、高温多湿の亜熱帯。田には青々とした稲が伸び、くわを担いだ現地住民がたばこをくゆらす姿もある。夜間に銃声は響くものの、襲撃を受けることはなかった。

≪美しい月の出た夜は月を眺めて戦友と故郷の思い出にふける事があります。去年の夏まで面白く遊んでいた事が浮かんできます≫

 実戦に向けた厳しい訓練が続き、下士官教育も受けた。討伐戦に加わり、重たい装備を背負って約40キロを歩くことも。長雨で湿った靴は乾かす暇もなく、足の湿疹に皆悩まされた。

 当初は珍しかったバナナはすぐに食べ飽き、缶ドロップなど甘い菓子をねだる手紙を何通も書いた。慰問袋で届いた干し柿やおはぎを頬張り、お守りは鉄かぶとに入れ、両親の写真は朝夕と拝んだ。

≪写真受け取りました。父母の健在な姿を見て、いまさらながら懐かしさと非常な心強さを感じました≫

 41年5月、1カ月に及ぶ作戦に参加。あぜ道を進軍中、山の上に陣地を構えた中国軍から突然、機銃掃射を受けた。身を伏せた泥田に弾が「ぶすぶす」と落ち、水煙が上がった。

≪これが最後のご奉公だと決死の覚悟を固めました。頑強な敵も我(わ)が軍の猛攻撃にたまりかね、ついに撃退。戦死者1を出し、真に壮烈な戦死でした≫

 マラリアにかかり、作戦終了後に20日間、陸軍病院に入院。罹患(りかん)のうわさを聞いた父から身を案じる手紙が届いていた。退院後、日の丸と「皇軍萬歳」の朱書きの文字が入ったはがきに、びっしり近況を記した。ただ、事実は隠した。

≪幹部候補生の訓育に全力を注ぎております。マラリヤ入院云々(うんぬん)も何かの間違いでしょう。ますます張り切って奮闘していますので何とぞご安心ください≫

 「福岡連隊史」によると、124連隊は41年5月の作戦で郷土部隊の勇猛ぶりを示し、輝かしい戦果を挙げたという。一方でこうも書かれている。「半年後、南方での短い“勝利の日”の後、急転直下、死の谷に転落するのである」。太平洋戦争が間近に迫っていた。

      ◇

 「あなたの特命取材班」に寄せられた古びた手紙は、戦地と故郷を結んだある父子の私信だった。

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