引き揚げの手記、筆者「山下文男」さんは誰? 宮若市の民家で発見

西日本新聞 ふくおか版 福間 慎一

「長男修一君、生長の暁に読破されんことを希望」

 「戦争の記録みたいですが、どうすればいいか困っています」。本紙「あなたの特命取材班」にメッセージが届いた。変色した表紙には「1947 記録」。紙の束は、75年前の終戦直後、満州(現中国東北部)での苦難の克明な手記だった。これを記した「山下さん」に関する手掛かりは-。

 メッセージを寄せたのは、福岡県春日市の出口加寿代さん(69)。手記は2016年1月に95歳で亡くなった父・塩川一人さんの書棚で、前年秋ごろに見つかった。父が入院していたため、宮若市の自宅を片付けていた時に出てきたという。

 出口さんが手記を開くと、<終戦二周年の日>と筆書きがあり、<長男修一君が生長の暁に読破されんことを希望す>とあった。

 さらにもう1枚めくると、目次とともに<一九四七年 山下文男>と署名があり、鉛筆で<引揚民族よ!! 敢(あ)えて乞う一読を!!>と殴り書きがあった。満州から引き揚げた後、当時を回想したとみられる手記。B5判の便箋135枚に及ぶ。

 出口さんは父の生前、病室に手記を持って行き、見せたことがある。しかし尋ねられた塩川さんは、じーっと見つめて一言「分からん」。「せめて元気なうちに聞けていれば」と出口さんは悔やむ。

 1920年生まれの塩川さんは、旧満州鉄道の測量技師として現地で働いたという。復員後は旧若宮町に住んで県庁職員になり、筑豊地区で福祉事務所長などを歴任。退職後は同町福丸地区の区長も務めた。

 山下さんの手記はソ連の対日参戦直後の45年8月10日から始まる。判読しにくい部分も多いが、山下さんは現在の中国遼寧省阜新市にあった満州炭鉱の阜新炭鉱で働いていたとみられ、27歳で終戦を迎えた。進駐したソ連兵におびえながら、同年10月末~11月に列車で大連へ移動する。

 大連では元日本兵による犯罪のぬれぎぬを着せられて逮捕、投獄もされたという。職を転々とした後に知人の紹介で大連市内のダンスホールでボーイの仕事に。47年3月、信濃丸で引き揚げた。

 塩川さんと山下さんの共通点は満州。手記の便箋には<位登炭坑用箋>とあり、山下さんは田川市にあった同炭坑で働いた可能性もある。「父の知人に間違いないだろうが、いつ、どこで、なぜ、どのようにこれを預かったのか。見当がつかない」と出口さん。「息子さんに残したかったという手記を渡すことができれば」と願っている。

(福間慎一)

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ