喉焼かれ「助けて」すら言えず 被爆者乗せた「救援列車」の惨状

西日本新聞 長崎・佐世保版 稲葉 光昭

当時14歳、乗車体験語る

 長崎平和推進協会は2日、被爆の実相を継承する講座を長崎市平野町の長崎原爆資料館で開いた。同協会継承部会の早崎猪之助さん(89)=長崎市=が被爆直後の惨状や、その後にけが人を運ぶために走った「救援列車」に乗った体験を語り、「戦争ほど惨めなものはない」と振り返った。

 救援列車は1945年8月9日の被爆直後、長崎市から数千人の負傷者を諫早や大村、川棚などの病院に運んだ国鉄の蒸気機関車。当時14歳の早崎さんは職工学校の1年生として長崎市大橋町の魚雷製造工場で働いていたが、コンクリート柱の陰にいて助かり、到着した列車に乗るなどし、実家の深江にたどり着いた。

 講座では、大けがをした大勢の被爆者たちは喉をやけどして「助けて」「苦しい」などの言葉すら発することができなかったと証言。早崎さんは4回目に到着した列車に乗れたが、同乗した被爆者たちが車内で次々と亡くなるのを見たことを明かした。

 早崎さんは「負けた戦争だったが、終わったことが何よりうれしかった。戦争がないのが一番の幸せ」と締めくくった。 (稲葉光昭)

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