核実験に抗議続け 「正気」と「狂気」の根比べ 原爆を背負って(49)

西日本新聞

 397。何の数字か分かるでしょうか。核実験に抗議するため、ここ40年間で私たちが座り込みをした回数です。実験が行われた回数はもっと多い。一度に何カ国も相手に抗議することもよくありました。

 1974年8月17日、直前に行われた米ソ仏3カ国の核実験に抗議するため、被爆教師5人が座り込んだのが始まりでした。その中にいた山川剛さん(76)は「大気圏核実験を繰り返すフランスや中国に頭にきていた。行動に表れたのがその日だった」と当時の心境を話します。

 キューバ危機などを受け、米英ソは63年、大気圏での核実験を禁止する部分的核実験停止条約を発効させました。しかし、核保有国のフランスと中国は調印せず、死の灰は世界中に降り続けていたんです。一方の米英ソも、条約で禁止されていない地下核実験を繰り返しました。

今も核実験が強行されるたびに、平和祈念像前で抗議の座り込みをしています

 山川さんたちの輪に、すぐに長崎原爆被災者協議会(被災協)のメンバーが加わりました。長崎原爆青年乙女の会の会長として被災協に出入りしていた私も、自然と座り込むようになった。当初、核実験が報道された日に行っていた座り込みは、平日の集まりにくさなどから、実験直後の日曜日に変更されています。

 80年7月、117回目の座り込みの日、「核実験に抗議する長崎市民の会」が発足しました。代表には、みなに頼まれて私が就いた。なぜ私だったのか。「被爆者の顔だから」と山川さんは説明します。赤い背中の写真が出てから10年。知らない間に、周囲から山口仙二さんや渡辺千恵子さんたちと同じように見られるようになっていたんですね。

 大気圏や地下で核実験が頻繁に行われていたあのころと違い、今は爆発を伴う実験はうんと減りました。代わりに米国などが行うのが、臨界前核実験や新型核性能実験。これに対し日本政府は「爆発を伴わない実験は包括的核実験禁止条約に違反しない」と言って抗議しない。核兵器をいつでも使えるように、性能を確かめているにもかかわらずです。被爆国の政府として本当に許し難い。

 抗議の座り込みは、まもなく400回目を迎えます。山川さんが言うように「核と人類は共存できないと訴えるわれわれの『正気』と、核武装することで国民を守るという核保有国の『狂気』の根比べだ」と思っています。(聞き手 久知邦)

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 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

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