「あっという間だった」映像でよみがえる築城基地空襲

 太平洋戦争時に米軍が撮影した映像の解析に取り組む大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」が2日公開したカラー映像など17点に、旧日本海軍築城飛行場(現航空自衛隊築城基地、福岡県築上町など)が戦闘機に銃撃される様子が映っていた。映像で確認されたのは初めてだが、築城基地近くに住む亀田精一さん(85)は、はっきりと、銃撃のことを覚えている。1945年3月18日。薄曇りの日だった。「あっという間だったんですよ」

 当時は10歳。空襲警報が出ていたので、朝から家にいた。家の前で遊んでいたら、3歳下の弟が「あっ」と声を上げた。見上げると左上から右下の飛行場に向かって戦闘機が急降下してきたかと思ったら「バチバチバチバチ」と格納庫に向けて機銃掃射した。思わず両手を挙げて「わー」と歓声を上げると、父親が家から飛び出してきて「ばかもん、敵ぞ」と怒鳴った。はっとわれに返り、自宅裏の防空壕(ごう)に駆け込んだ。

 わずか数秒間の出来事。「不思議と怖くなくて、すごいという感じ。飛行機が銃撃するところなんて、初めて見たからね」

 のどかな農村に飛行場が建設されたのは6歳のとき。遊び場だったお宮や田畑も飛行場の中に取り込まれ、立ち入り禁止になった。白い制服を着た海軍の兵士たちを「へいたいさん」と呼んで親しんだ。

 飛行場周辺では訓練で飛行機が舞っていたが、戦争末期には空襲警報のたびに飛行機と兵士たちは避難し、子供心に不信感が募った。「今考えれば、力の差がありすぎて仕方なかったのでしょう」。終戦間際の8月にも空襲を受け、民間人を含む多数の死傷者が出た。「飛行場がなければ空襲は受けなかったのでは。戦闘はもうたくさん」

 現在は航空自衛隊の基地になり、昼夜を問わず、航空機のごう音の中での生活だ。「沖縄の人たちの気持ちがよく分かるけれど、基地周辺の居住者でないと、戦争とか、基地とかの問題を考える機会はないのでは。だから、今回の(映像公開の)ようなことを考えるきっかけにしてもらえれば」と話した。

 映像は2013年以降、宇佐市塾が米国立公文書館から空襲など39時間25分を収集済みで、米軍の戦闘報告書などと照らし合わせながら日時や場所の特定を進めている。今回公開した17点中16点は、1945年に米軍が日本各地の空襲を撮影した映像。残り1点は日本海軍が39年に横須賀軍港で撮影したとみられる空母「飛龍」竣工(しゅんこう)式の映像だった。宇佐市塾の平田崇英塾頭は「当時を知る人が減る中で、少しでも事実を伝える活動を続けていければ」と話している。

 (後藤潔貴)

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