かつてない高揚感 「ノーモア・ヒバクシャ」 原爆を背負って(53)

西日本新聞

 マンハッタンのメーンストリートを埋め尽くした人、人、人。1982年6月、米ニューヨークで開かれた第2回国連軍縮特別総会(SSD2)。世界中から集まった100万の人々は、「なくせ核兵器」と書いた横断幕を掲げ、行進しました。

 その1カ月前、日本被団協から派遣され西ドイツ遊説中だった私は、突然SSD2への参加が決まりました。長崎県労働組合評議会(県評)から頼まれたんです。県評は、原水協と袂(たもと)を分かった人たちが作った原水禁の加盟組織。心情的に原水協側だった私ですが、「被爆者として訴えることは同じ」と快諾しました。

 SSD2には日本被団協から41人の代表団のほか、市民団体や平和団体などから1400人が参加予定でした。ところが、米国政府の妨害に遭い、原水協関係者など200人以上にビザが下りなかった。国連に行くのに、なぜ米国に邪魔する権利があるんだと腹が立ちました。

第2回国連軍縮特別総会で演説する山口仙二さん。本当に迫力あったなぁ

 到着したニューヨークは、ものすごい熱気。道路を占領する100万人行進の列に加わり、セントラルパークを目指しました。とにかく大きな公園でしたが、人が入り切れなかった。一緒に行動していた被爆医師の秋月辰一郎さんと顔を見合わせ、かつてない反核運動の盛り上がりに驚くばかりでした。

 その後、記録映画「にんげんをかえせ」を作った橘祐典さんらと一緒に地方都市を回りました。行く先々で歓迎を受け、みな私の体験講話に熱心に耳を傾けてくれた。「にんげんをかえせ」も映画館を借りて上映することができました。証言と映像を通して、米国の市民に核兵器の恐ろしさを伝えることができたと思います。

 忘れてはいけないのが、山口仙二さんが国連の舞台で演説をした82年6月24日。NGO(非政府組織)に開放された本会議場で自らのケロイドの写真を見せながら、「ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と訴えました。鬼気迫るその姿は、各国政府代表や平和運動家たちに深い感銘を与えたといいます。

 SSD2そのものは、核保有5カ国が抵抗し、期待した成果は得られませんでした。でも、100万人行進や被爆者の精力的な運動を通じて、国際世論が「核軍縮」から「核廃絶」に向いていったことは間違いありません。(聞き手 久知邦)

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 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

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