仏の番組に出演 怒りを粘り強さに変え 原爆を背負って(55)

西日本新聞

 「原爆投下は正しかった」「日米双方で多くの命が救われた」。好き放題言う米国の歴史学者や科学者、元軍人たちへの怒りで体が震えました。1985年9月、フランスのパリ。私は円卓を囲んで彼らと向き合っていた。テレビ番組に出演したんです。私のことを小説にしたピーター・タウンゼンド氏もいました。

 きっかけはフランス語訳された小説「The postman of Nagasaki」。本を手に取ったフランス在住の日本人女性がテレビ局に持ち込んだそうです。「ピーター氏と一緒に出演してくれ」とテレビ局から依頼がありました。

 この年の春に、日本被団協の派遣で欧州に行ったばかりでした。有給休暇をほとんど使い果たしていたので、断ろうと思いましたが、「どうしても」というテレビ局の説得に負けました。フランス旅行は5日間の強行スケジュール。広島で被爆した医師、肥田舜太郎さんも一緒でした。

番組の後、ユネスコの議長と面会しました。右端が肥田舜太郎さん

 着いてみてびっくり。本ができた経緯や、ピーター氏との再会を番組にするのかと思っていたら、「米国の原爆投下は正しかったか」という討論番組だったからです。

 米国の学者4、5人が、次々に勝手なことを言った後、ようやく司会者から意見を求められました。たった1発で数万の市民を虐殺し、今も被爆者を苦しめる原爆。「使っていいわけがない」と厳重に抗議した後、被爆体験を冷静に伝えるよう努めました。はらわたは煮えくり返っていましたが、感情でぶつかっても仕方ないと思ったんです。学者たちは何も反論せず、「二度と繰り返してはいけない」と漏らしました。

 「あなたが米軍人だったら原爆を投下しましたか」。司会者はピーター氏にも話を向けました。元英国空軍大佐のピーター氏は「あの当時なら、国の命令があればしたかもしれない」と答えましたが、「谷口の話を聞いた以上、そんなひどいまねはできるはずがない」と続けました。

 原爆を作った人、作らせた人、使わせた人、使って喜んだ人…。これは人間じゃないと思う。絶対に許せない。でも、怒りだけでは相手に伝わらないんです。「この苦しみは私たちだけで十分」と、辛抱強く訴えてこそ、相手の胸に響くと思いますね。そのことを確認した旅になりました。(聞き手 久知邦)

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 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

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