大家さんの福田さんが罹災した【軍国少年日記】

西日本新聞

八月十三日(月)晴

 八時半起床。十一時、福田さんの畑のにんじん・ごぼう掘りをした。

 今日は休み。

 この二三日は、警報が発令されたり解除になったりして、もう、わけがわからなくなった。すう回敵機上空にる。

 十一日の空襲で大家さんの福田さんがりさしたので、うちにとまってゐられる。ところで、うちは福田さんのものだから、福田さんがけたら、われわれひっしてゞも福田さんに家を渡すべきである。それで大家さんは、我々のため、井上食品工場のうらのうちに案内して下さったが、疎開にかゝってゐるので、あきらめ、裏の金子さんのあとに引越すことになった。三時頃より中の掃除にとりかゝったが、よごれてゐるのなんの、ありゃしない。家は新しいが、ふすまはビリビリやぶけて、一枚として完全なものはなく、たたみまっくろによごれて、へりはめちゃくちゃだ。一階なんか、見たゞけで、ぞっとしてしまふ。引越しなんて、いやなものだ。はいて、たゝみまでふいてかえった。

 そして組立本箱をはこんだ。

 二時半空襲警報

 九時空襲警報

 十二時空襲警報

 十五時空襲警報

 十九時半空襲警報

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 ※福岡県久留米市出身の竹村逸彦さん(89)が14歳だった1945年に書いた「軍国少年日記」を、できるだけ原文のまま掲載しています

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