山本君が「日本は無条件降伏したげな」【軍国少年日記】

西日本新聞

八月十五日(水)曇

 朝起きてみたら猪口さんがて、となりに寝てゐた。

 今日は休みである。

 十三時頃だったか、山本君が息をきらしてきて、「日本は無条件降伏したげな」といった。僕は、おったまげてしまって物もいへなかったが、気をおちつけて、よく聞いたら、十三時にラヂオがいったさうだ。そして、はじめに天皇陛下御自ら御放送遊ばされたさうだ。僕は、それは敵がおきなわからでもデマ放送してゐるのだらうと思ったが、町をあるいてみると、街角といふ街角は、みなその話でもちきりだ。僕は、いくらなんでも、そんな馬鹿なことがあるものか、まだせんりょくはいくらだってあるのに、それに陛下御自ら御放送遊ばされるなんて、そんなおそれ多いことがあらうはずがないといひはった。

 家にかへってみると、近所の人々が、いろいろうわさしあってゐる。みな非常に憤慨してゐる。山本君のお母さんは、「せめて、あの子のかたきだけでも、とりたかったのに」とおっしゃって声をうるませるので、わいさうでみてゐられない。

 七時の報道のあとで首相の演説があるといふので、山本君と二人で多田へきゝに行って、今日の新聞(西日本)をみた。大きく「大東亜せんそう終結のせいだん降る」とあり、その下に詔書が謹載してあった。

 道を通る人は、みんなプリプリおこってゐる。ラヂオはサッパリ聞こえなかった。海軍大臣は自決された。

 米英支蘇共同宣言に應じたのは、あのひろしまに使用したざんぎゃく極まる原子爆彈によって、大和民族が絶えてしまふのをひになって、この御聖斷をお下し遊ばされたとうけたまはる。しかし、われわれの考へとしては、あくまでたたかひ、最後の一人まで戰って死にたいのである。まだこんなに兵力も武器もあるのに…。たとへ大和民族が絶えてしまはうとも、恥さらしな降伏をするよりも、世界の人々から、日本人は最後の一人まで戰って破れたと、たゝへられる方がよい。

 やがて武装解除となり、中等がっこう以上の學校はなくなり、工場は休み、米英人はわがまゝ勝手に本土へやってくるだらう。

 こんな事がはじめから知れてるなら、ありったけの兵器を特攻兵器としてきゅうてき撃滅に使用したらうに。もう今日となっては、あの飛行機も無用の長物になってしまった。特攻隊の人なんか、どんなにだんふんで、くやしがったらう。

 今日に限ってブンブン飛ぶ味方機をみて、うらめしくなる。まだあれだけ飛行機があるのになあ。じっさい、くやしかった事は、筆の下手な僕には、書いて表はせない。くやしくてくやしくて。國武さんの伯母さんも飯島さんも、くやしいといって泣かれる。

 山本君から、「苦心の學友」をかりた。

 八時半警戒警報

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 【注釈】海軍大臣…陸軍大臣阿南惟幾の間違いと思われる。阿南は1945(昭和20)年8月15日、天皇をしつする責任を十分に果たせなかったとして、官邸で「死をもって大罪を謝し奉る」と自刃した

 ※福岡県久留米市出身の竹村逸彦さん(89)が14歳だった1945年に書いた「軍国少年日記」を、できるだけ原文のまま掲載しています

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