「ここは怖か」忘れられない濁流の恐怖 帰りたいけど…揺れる心

限界豪雨 熊本の現場から(下)

 「また、会おう」。被災から4日間、孤立状態を耐えた約40人の住民たちはそう誓い、泥土に埋もれた集落を出た。東に約25キロの村外の避難所や、親戚宅へ。

 豪雨から1カ月を迎えた4日、住民が去った熊本県球磨村神瀬地区の木屋角(きやのすみ)集落に、人影があった。住民や親戚、ボランティアが家屋に流れ込んだ泥をかき出し、思い出の品を探していた。

 7月30日に梅雨明けし、現地に入る人の姿も見られるようになった。「でも、みんな集まれないから話し合いができず、復興の道筋も見えてこない」。集落の自主避難者を約30人受け入れた乗光寺の豊橋光秀住職(50)はこう話す。

 別れの日以来、毎日のように住民たちと連絡を取ってきた集落の班長、日当(ひあて)国弘さん(80)は「濁流の恐怖は忘れられない。高齢者は経済的に自宅再建が難しい。残念だが、ここは消えていくしかない」と言葉を絞り出した。

 日当さん自身は県外の息子宅に身を寄せることを決めたものの、全体の意思確認はできずにいる。「古里が消えゆく姿」を直視する覚悟はまだない。

 県内で最大166あった孤立集落は7月いっぱいでほぼ解消され、仮設住宅の入居募集も始まった。行政は生活再建の最初の一歩を促すが、球磨村の女性(70)は「知りたいのは仮設の退去期限が来る2年後にどうなるのか。どこに住めるの」と不安を口にする。

 村が計画する仮設住宅は約300戸。中渡徹防災管理官は「元の村に戻したいが、300世帯分の安全な土地はない。山を切り開くか…」。自問自答する。

 4世帯7人が肩を寄せ合った八代市坂本町荒瀬集落の坂本地域福祉センターでも、集落に戻るのか、戻らないのか揺れている。声を掛け合って避難し、食材を持ち寄り空腹をしのいだあの日から、生活を共にした。

 夕食後にはロビーに集まり、たわいもない話が続く。平野千鶴子さん(72)は「みんなが一つの家族みたいな地域。だから、笑って過ごせるのよ」。

 それでも夜が更けると、本音がこぼれ落ちる。平野さんの夫和臣さん(71)は「住み続けるなら、柱が腐らんように床下の泥をかき出すはずなのに、それをしていない」。家財道具を運び出す姿は見たが、41世帯の4割は泥出しをしていなかった。

 戻りたくても戻れない人もいる。山下安男さん(77)夫婦は今月中旬に八代市の中心市街地のみなし仮設に引っ越す。「ここは怖か。いつか帰ってきたいけど、帰れん」

 球磨川は濁りが薄れ、道路や河川、集落の復旧も一歩ずつ進む。集落のまとめ役でもある和臣さんは「自宅を修繕して必ず戻る」との覚悟を決めている。「川のそばで暮らす限り、水害は起きると思わないといけない。川とどう付き合っていくのか考えていきたい」

 (綾部庸介、萱島佐和子、古川努)

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