李登輝氏の台湾を知る

西日本新聞 上別府 保慶

 「台湾民主化の父」と呼ばれた李登輝氏が7月30日に死去した。かつて私が台湾にいた時、李氏から「二・二六事件の遠因は台湾にあるんだよ」と言われて驚いたことがある。日本の軍部の暴走を招いたあのクーデター未遂事件のことだ。

 李氏は日本統治時代の台湾で、米の増産のために品種改良された「蓬〓(ほうらい)米」が日本市場に進出した結果、東北の農民を圧迫し、凶作がそれに拍車を掛けて飢餓と女性の身売りが起こり、青年将校の憂国の念をあおったと言うのだ。

 いかにも農政が専門らしい分析の後に李氏は言った。「自分がどんな歴史の上に立っているか、私は若い台湾人にも知ってほしい。それには教育が大事だ。総統の時分は苦労したよ」。そしてこんな話が続いた。

 1945年、台湾が日本の敗戦で中華民国へ帰属した時、学校の授業も様変わりした。国語はそれまでの日本語から北京語に。それだけでなく、庶民の多くが話す福建省由来の台湾語もまた、学校で話すのを禁じられた。大陸出身の教師は、陰口をたたかれても意味が分からないからだ。

 歴史の授業も一変した。大陸中国の歴代王朝に始まり、この系統を継ぐ正当性は孫文と蒋介石の指導する国民党にありとたたき込む内容だった。さらに国民党が内戦に敗れた中国共産党については、その対立の事跡を徹底的に教え込まれ、入試では必ず出た。

 国民党には大陸に反攻して国土を奪い返す大目標があった。台湾はその足場ではあっても辺境にすぎず、学校の授業では台湾の歴史も地理も素通りした。李氏が88年に総統となった時は経済など他の多くの課題と並んで「台湾人の意識を持つ教育」の必要性をかみしめた。だが、それは大陸回帰を目指す官僚や軍人らの政敵から見れば、危険な考えだった。

 終戦から2年後、台湾で国民党の暴政に抗議する「二・二八事件」が起きた時、知識人や学生を中心に大勢が虐殺され、その後は事件を語れば投獄された。李氏はこの事実を何としても若い世代に伝えたかった。

 李氏は日本統治時代については是々非々の立場で、産業や教育、医療などの基盤整備は「日本にとっては資金の持ち出しが多く台湾のためになった」と評価した。これまた政敵には、認めがたい歴史観だった。

 悲願は97年に実った。中学の歴史教育に「認識台湾」という教科書が導入されたのだ。すべて台湾の視点で書かれたこの本は「二・二八事件」や日本の統治についても李氏の考えが踏襲された。この教科書で育った世代は既に社会人。台湾の親日にも影響している。

 初版の邦訳「台湾を知る」は雄山閣出版から出た。

 (特別編集委員・上別府保慶)

※文中の〓は「草かんむり」に「來」

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