あの日、何を報じたか1945/8/7【広島に投弾 B29少数機 六日朝侵入】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈B29少数機は六日午前八時二十分頃広島市に侵入焼夷弾ならびに爆弾攻撃を行って脱去した、損害目下調査中〉

 一瞬で数万人の命を奪い、その後数え切れない人を苦しめることになる広島原爆投下の一報だ。

 わずか4行、49文字。この日の紙面には表裏2ページで合計約50本の記事が掲載されているが、通信社の配信記事を使ったとみられるこの記事は、福岡少年院長の本社来訪に関する短信の次に短く、一般記事では最も文字数が少ない。

 西日本新聞社は当時、広島市にも支局を構えていた。原爆で支局の永瀬岩男記者と事務員の片山イヤノさんが犠牲になった。壊滅した広島の状況は、まだ把握できていなかった。

 広島への投弾を報じる2段見出しと同じ大きさで、2面に掲載されていたのは福岡市のコメの配給量が8月11日から1割減るという記事。その量は1、2歳=108グラム▽3~5歳=153グラム▽6~10歳=225グラム▽11~15歳=324グラム▽16~60歳は「甲、乙」=297グラム、「丙」(男)=360グラム▽60歳以上=270グラム-というものだった。(福間慎一)

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 〈〉部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

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