「どこか似ている」コロナと戦争、被爆者が感じた共通点

西日本新聞 社会面 徳増 瑛子

【長崎からの視線 コロナ禍の夏に】(上)

 長崎市の自宅近くにある公園のベンチで、被爆者の築城昭平さん(93)がテンポよく歌ってみせた。

 <とんとん とんからりと 隣組 格子を開ければ顔なじみ>

 ユーモアのある歌詞で愛された戦時歌謡の「隣組」。食料の配給や灯火管制、防空訓練で隣人との協力を促す歌はこう続く。

 <廻(まわ)して頂戴(ちょうだい) 回覧板 知らせられたり 知らせたり>

 集落ごとに国が設けた連携の仕組みは、住民同士を監視させる機能も果たした。築城さんは当時、ラジオが伝える日本軍の「転進」を「敗走」と理解したが、非国民とのそしりを危ぶみ口外は控えた。

 「いつも周囲の視線が気になっていた。歌うと、気を紛らすことができた」

 いま、世界を覆う新型コロナウイルス。自粛要請や新しい生活様式など国が掲げる方針に、従わぬ者を排除する「自粛警察」のような行動も現れている。何が正しい情報か確信を持てぬまま、一丸になって突き進んだ75年前の光景が現在に重なる。

 あのとき、爆心地から約1・8キロの師範学校で壁にたたきつけられ、爆風で飛んだガラス片が全身に刺さったまま逃げ込んだ防空壕(ごう)。目にしたのは体の一部をもがれた人々の姿だった。「地獄」を招いた当時の空気感と今は「どこか似ている」と築城さんはつぶやいた。

      ◇

 介護福祉士の徳永海樹さん(36)は、長崎市内の介護施設で高齢者と過ごす中で、多くの被爆体験を耳にしてきた。その数は30人以上。あらためて人前で語るわけでもなく、手記に残すわけでもない。日常会話の中の、そんな「記憶語り」だ。

 重症者、ロックダウン、人工心肺装置、緊急事態宣言、国内死者千人超…。日々報じられるコロナ絡みのいかめしい言葉は平穏な施設にも影を落とし、普段とは違う利用者の姿が目につくようになった。

 認知症が進み、自分の家や家族の顔も忘れ、幼少期の戦争体験など一部の記憶しか残っていない被爆者が、「コロナ」の話題には敏感に反応するのだ。

 外に行きたがるときに「コロナやけん行けんとよ」と諭すと、おとなしく納得する。7月の豪雨の話題には関心を示さないが、コロナで亡くなったと聞けば「怖い」と口にして、食後には進んでマスクを当てる。

 命が脅かされる日常を強いられる中で、徳永さんは「戦時下と今の状況が重なっているのではないか」と感じている。

 見えないウイルスがもたらした世界の混沌(こんとん)を、トランプ米大統領は「戦時下」と公言するなど、核を持つ世界の為政者たちは威勢の良い言動が目立つ。

 ふとしたきっかけで、世の中全体が同じ方向に走りだす危険性が常にあることを、築城さんは身をもって知っている。現政権が推し進めてきた集団的自衛権行使の解禁や、「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法の施行。さらには憲法9条改正へのこだわり。かつて時代の渦にあらがえなかった一人として、今の世代に伝えたい。

 「戦時中は何が正しいのか、判断する余裕がなかった。国はどこに向かおうとしているのか、しっかりと見極めないといけない」

 未知の感染症との闘いと戦争は、全く異なるものであり、同列に論じることはできない。だが、そこに見逃すことができない共通点を感じている人もいる。

      ◇

 コロナ禍で迎えた被爆75年の夏。長崎からの視線を追う。 (徳増瑛子)

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