八女に墜ちたB29 残骸が語る「憎み合った時代」

西日本新聞 筑後版 丹村 智子

 終戦間際の福岡県八女市上陽町に、米爆撃機B29が墜落した。人々は捕らえた米兵に憎しみをぶつけたが、戦後は進駐軍の報復を恐れ、その事実はあまり語られてこなかったという。墜落から75年。墜落機の残骸を集めて保管していた航空機愛好家と、郷土史を研究する元教師の“出会い”によって、その破片が初めて公開されている。

 ひしゃげた金属板やモーターが、墜落、衝突の激しさを物語る。計器や機体の一部など15点を提供したのは同市立花町の農業、高橋和行さん(65)。大牟田に空襲があった1945年7月27日にB29が墜落したことを40年ほど前に知り、現場近くを訪ね歩くようになった。農家の納屋に残っていたものを譲り受けたり、骨董(こっとう)品店から買い取ったりして集めた。

 元来、航空機に興味があり部品や資料を収集していたが、戦争を知る世代が少なくなる中で「悲惨さを伝えるには資料が必要。いつかこの残骸が役に立つはず」と大切に保管。今年6月末、市の広報誌でB29墜落が紹介されたのを目にして、その時が来たと感じた。

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 一方、広報誌の紹介記事を書いたのが同市上陽町の野中鐵也(てつや)さん(77)。地域の歴史を研究する中で、実際に墜落を目にした女性からも証言を聞いた。

 「恐ろしく大きな音がするので外に飛び出すと、ギラギラ光る巨大な爆撃機が炎となって山に墜落していった」-。墜落機には12人が搭乗していたとされ、2人が即死。落下傘などで脱出した米兵は、村を挙げての山狩りにより捕虜として捕らえられたという。

 「住民には戦死者の遺族も多かった。米兵を見て、こらえられなかったのでしょう」。野中さんが聞いた証言では、捕らえる際に日本刀で切りつけようとした人や、移送中のトラックの荷台によじ登り竹でたたいた女性もいた。捕虜の顔が赤く腫れ上がるまで子どもたちに殴らせたこともあったという。

 捕虜は久留米に移送され、間もなく終戦を迎えた。B29の残骸は米軍が回収。「進駐軍の報復を恐れ人々は口をつぐんだようです」。当時の北川内村(現八女市上陽町)村長が、捕虜の扱いを巡って連合国軍総司令部(GHQ)から詰問を受けたという話も伝わる。

 「知らない者同士が憎み合い、命を奪い合う。人を互いに思いやる平和の尊さを感じる」と野中さん。高橋さんも「お互いが戦争の被害者ということを考えてほしい」と語った。

 B29の部品は八女民俗資料館(八女市本町)で16日まで開かれる戦時資料展で展示されている。入場無料。同館=0943(22)3545。 (丹村智子)

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