現地で伝えられぬ焦り コロナ禍「あの日」を伝える機会減る

【長崎からの視線 コロナ禍の夏に】(中)

 8月に入ったというのに、平和教育の「発信地」は閑散としていた。

 多くの家族連れや外国人でにぎわうはずの長崎原爆資料館(長崎市)。新型コロナウイルスの影響で4月から2カ月間の休館を余儀なくされ、再開後も来館者数は例年の1割を下回る。壮絶な「あの日」を伝える語り部らによる講話の機会も減った。被爆者の90代男性は焦る。「自分もいつまで生きられるか分からない。平和の大切さを直接伝えられるチャンスなのに…」

 資料館、爆心地、被爆遺構。若い世代が被爆地を訪れ、そこで何が起きたかを学んでもらう。平和教育に大きな役割を果たしてきた修学旅行にも影響が出ている。

 長崎市への修学旅行は少子化にもかかわらず、空路の浸透で首都圏からの訪問も増え、ここ十数年は年間30万人前後で推移。だがコロナ禍で自粛や中止、目的地を近場へ移すケースも目立ち、長崎の街で各地の制服を見かける機会は激減している。

 この地で得られたはずの学びや体験を取り戻そうとする試みもある。長崎市内の小中学校に出前講座を届ける市民団体「ピースバトン・ナガサキ」は、4月からインターネット上のバーチャルツアーを始めた。原爆投下時刻の11時2分を指す柱時計、熱線で溶けたサイダーの瓶、米粒が炭化して焼き付いた弁当箱…。資料館の展示紹介に加え、平和祈念像の由来などを解説する5~10分の動画12本を公開している。調仁美代表(58)は「これまで長崎へ来られなかった人たちの関心も引き寄せたい」と願う。

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 感染防止策としてオンラインの学びが進化したとしても、実際に現場を訪れ、主体的に学び取ることの大切さは変わらない。

 長崎では6年前に修学旅行生が被爆者の語り部に「死に損ない」などと暴言を吐いたことが問題になった。「平和教育の大切さをしっかり考えさせられなかった」と、生徒らが通う中学の校長は悔やんだ。

 唯一の地上戦があった沖縄でも3年前、83人が集団自決した読谷村の自然洞窟「チビチリガマ」に、その史実を知らない他村の少年4人が肝試しで忍び込み、多くの遺骨が眠る内部を荒らした。遺族会の与那覇徳雄会長(65)らは少年らに保護観察の一環で歴史を教えたことをきっかけに、今も共に清掃を続ける。与那覇会長はこれまで、現場を訪れた人だけに集団自決の悲劇を語ってきた。「現場を知らなければ、伝わらない。きちんと知ってほしい」との思いを強める。

 今の窮屈な日常が続けば、修学旅行生だけでなく、戦後生まれの親世代も含め、実際に被爆地に足を運ぶ人は減っていくだろう。

 昨年3月まで長崎原爆資料館長を務めた作家の青来有一氏は、感染症によって生活様式が変わらざるを得ない転換期だからこそ、「知識」と「感性」の両方を重視すべきだと考える。

 現地の土を踏み、空を見上げたときに湧き上がる想像力が戦争のない75年の空白を埋めると信じ、こう指摘する。「現場に来れば何を得られるのか。そこに暮らす私たちが自覚し、説明できるようになっていかないといけない」

 (徳増瑛子)

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