焼き物の通説変える? 佐賀・伊万里の日峯社下窯跡、調査続く

西日本新聞 佐賀版 古賀 英毅

高級品と日用品が同居

 今年初めに北九州市の出光美術館であった「古伊万里・鍋島の魅力」と銘打った展覧会。展示品の説明には「日峯社下窯(にっぽうしゃしたがま)跡からは…」という一文がところどころ見られた。これは伊万里市教育委員会が長年調査を続けている窯跡だ。昨年度の調査の成果説明会は新型コロナウイルス感染症の影響で中止となったが、7月に概要発表があった。追加取材も行ってみると、なかなか興味深い窯跡であることが分かった。

 日峯社下窯跡は、江戸時代に将軍や大名家への贈答品になった最高級品「鍋島」が作られた佐賀県伊万里市・大川内山にある国史跡「大川内鍋島窯跡」に含まれる。市教委が1989年度の1次調査と2000年度の2次調査で概要をつかみ、史跡整備に向けた調査を14年度から毎年実施してきた。全長約52メートル、15の焼成室がある登り窯だ。

 鍋島の窯が有田から大川内山に移ったのは古文書の記述などから、1670年代とするのが通説だった。ところが、一連の調査で初期鍋島と共に50~60年代の一般向け製品が出土し、移転が10~20年ほどさかのぼるのではないかと考えられるようになった。肥前の陶磁器に詳しい大橋康二・九州陶磁文化館名誉顧問は、文献資料や出土品分析から日峯社下窯跡では、鍋島は59年前後に焼かれ始めたとみる。

 窯跡調査はごみ捨て場「物原(ものはら)」が重要なポイントだ。失敗作から窯の操業時期や技法を探る。伊万里市教委の船井向洋副課長が探すのは、57年に火災で焼け落ちた江戸城天守閣跡から出土した鍋島と同じデザインの陶片。これがあれば創業時期解明の重要な手がかりとなる。「古そうな陶片はあるんだけど…」と船井さん。今のところは狙った品は見つかっていない。

 15の焼成室のうち高級品用と考えられるのが中ほどの7~9室。この辺りは焼成室内の火加減が最もいいとされる。その前後は一般向けの品。伝承を基に想定されていたが、窯跡西側にある物原の分析で実証された。「一つの製造ラインでレクサス軽自動車を作っているようなものです」。船井さんは現代風に登り窯の使い方を説明する。

 「鍋島」の失敗作は一般向けより細かく壊され、ほぼ決まった場所に捨てられていた。技術情報を守るため厳密に管理されていたことがうかがえる。2019年度の調査ではその物原の範囲が、最低でも南北15メートル東西8メートルのマウンド状になっていることが分かった。

 同年度の調査では興味深い品も見つかった。青磁の香炉の破片。素人目には高級品に見えるが、船井さんは「一般向け」と言う。底部に釉薬(ゆうやく)がかかったまま焼成できるよう逆さまで窯に入れた跡がうかがえるという。高級品の手法だ。一般向け製品で新手法の実験を行ったと思われるが、一般向けの職人が高級品をまねた可能性もゼロではない。

 調査は24年度までの予定。本年度は中間まとめの報告書作成に着手するほか、調査成果を議論するシンポジウムも計画している。ただ、シンポは新型コロナウイルス感染症の影響次第で見送りの可能性もある。

 日峯社下窯は日本磁器の最高峰ともいえる鍋島の変遷を解明するために貴重な資料を提供する。大橋さんは「操業時期が後の鍋島藩窯跡よりはるかに短いと考えられるので、より(初期鍋島の)生産技術の特徴をとらえやすいと思う」と期待している。

 (古賀英毅)

佐賀県の天気予報

PR

佐賀 アクセスランキング

PR

注目のテーマ