価値観異なる人と対話を コロナ禍越え核なき世界へ

【長崎からの視線 コロナ禍の夏に】(下)

 「核問題の緊急性が共有されていません。実際に使われたときの結末を想像してください」。長崎で2012年から続く核兵器廃絶市民講座。6月の初回に登壇した長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の中村桂子准教授は危機感をにじませた。世間の関心は核よりも新型コロナウイルスにあると感じる。

 核軍縮の動きは鈍い。米国の科学者らが毎年発表してきた、地球滅亡までの残り時間を示す「終末時計」は今年、昨年より20秒進み、残り100秒に。公表を始めた1947年以降で最も滅亡に近づいた。今年3~5月、全国紙2紙に載った「核兵器」「廃絶」の言葉を含む記事数は過去20年で最少の234本。これまでの最多は16年の1109本。当時のオバマ米大統領が広島を訪れ、翌年に核兵器禁止条約成立を控え、希望が膨らんだ時だ。

 中村准教授の現状報告に、参加した約100人からため息が漏れた。その顔触れも、よく知る被爆者や一部の学生たち。被爆地でも核は「遠い問題」に映る。

 「核」に関心が低い若い世代を巻き込もうと、長崎大は5月から「核」に「コロナ」「気候変動」を加えた三つのテーマで識者対談を企画した。感染症に詳しい同大熱帯医学研究所の山本太郎教授は、人口が多く、対応力が乏しい途上国での感染症の大流行は地球全体を脅かす共通のリスクと位置付け、こう指摘した。「各国の連帯、国際的な協調が試されている」。それは、核廃絶を訴えてきた被爆地が直面してきた課題ともぴったり重なる。

      ◇

 手を取り合い、連帯を続ける若い世代がいる。「ナガサキ、パールハーバーを繰り返してはいけない。過去を学び、未来を見極めよう」。今月2日、長崎と米ハワイの若者が合同で平和アピールを採択した。企画したのは、高校生平和大使として2年前にハワイに派遣された大学3年、安野(やすの)伊万里さん(20)。コロナ禍で実際に対面できない中、7月から続けてきたオンラインでの日米高校生の会合をサポートしてきた。

 平和大使は1998年に始まり、スイスの国連欧州本部で核廃絶を訴えるスピーチなどを行ってきた。被爆地と対比して語られる真珠湾があるハワイへの訪問は、安野さんの代が初だった。その年の8月9日には現地の高校生を長崎に招き、日米120人が爆心地で手を結び核廃絶を訴える「人間の鎖」を実現させた。

 同世代を日本に招くきっかけは、ハワイを訪れた際、真珠湾を奇襲した日本を今も憎む元軍人がいると知ったこと。「価値観が異なる人と対話し続けることが大切」。そう信じての行動だった。

 長崎を訪れる米高校生がどう受け止めるか。そんな不安は杞憂(きゆう)に終わった。「多数の市民を巻き込んだ原爆投下の罪は重い」「無差別に人命を奪う方法が正当化されてはならない」-。両国の若者が共有した思い。加害と被害の歴史を超え、対話することこそが、平和を実現する一歩になると知った。

 安野さんは、コロナ禍が去り、再び手をつなげる日が来ることを願う。「交流を続け、一人でも仲間を増やしたい。私たちも平和の懸け橋になれると思う」

 原爆投下から75年。予期せぬ新型ウイルスの出現は核なき世界への活動を妨げている。それでも、これまでの取り組みを礎に、核廃絶への真剣な模索が続いている。

(徳増瑛子)

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