惨禍の実相忘れない 亡き子の歌に誓う 平和宣言に作曲家の手記引用

西日本新聞 社会面 徳増 瑛子

 田上富久長崎市長が読み上げた長崎平和宣言は、作曲家木野普見雄さん(1970年に62歳で死去)の被爆体験をつづった手記を引用した。平和に関する曲を多く残し、手記には音楽で惨禍を後世に伝える思いを記した。愛する子を失った親の心情を込めた楽曲「あの子」は、式典で児童が歌い、平和への祈りが響き渡った。

 ≪丸太のようにゴロゴロと瓦礫(がれき)の中に転がっていた数知れぬ屍体(したい)≫≪毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡(のうり)に蘇(よみがえ)ってくる≫

 木野さんは勤務先の市役所で被爆。一命は取り留めたものの、爆心地から約500メートルの自宅は焼かれ、妻と子2人が犠牲になった。宣言にある一節は、原爆投下から11年後に書き留めた手記から抜粋したものだ。

 ≪原爆の惨禍を忘れてはならない。戦争を再びやつてはならない≫≪惨禍の実相をペンに托(たく)して訴えるにはあまりにも自信がなかつた≫

 手記には心得があった「世界共通語」の音楽で、戦争の生々しさを世に知らせたいとも書かれていた。

 木野さんは戦後、校歌や歌謡曲を170曲以上残す。その一つが、原爆で児童と教職員約1300人が犠牲になった山里小で歌い継がれる「あの子」。『壁に残った らくがきの おさない文字の』『あの子が生きていたならば』-。長崎で平和を考える原点ともいわれる楽曲だ。

 式典では、新型コロナの影響で例年の半数に縮小した山里小の23人が歌った。初めて式典に参列した木野さんの長男隆博さん(70)は「父が見た惨状が、子どもたちの歌声を通じて伝わるようだった。父の思いが詰まった歌が多くの人に届いてほしい」と語った。 (徳増瑛子)

長崎県の天気予報

PR

長崎 アクセスランキング

PR

注目のテーマ