【人生に寄り添う介護を】 関根千佳さん

西日本新聞 オピニオン面

◆「おついたち」に思う

 母が暮らしている福岡の介護施設では、毎月1日を「おついたち」と呼んで、楽しみにしている。月に一度、この日は、お昼にお赤飯が出る。まるでお正月のように指折り数えて、「あと2日で、おついたちだね」と、心待ちにしている人も多い。

 おついたち以外でも、お節句やお彼岸、七夕、クリスマスなどに、季節の彩を添えた食事が出てくる。今年は、お花見にもお祭りにも出かけられないので、食卓の上で季節を感じさせる心遣いが、特にうれしい。

 生きものは、食べることで命をつなぐ。そして、人間にとって食べることは、いわば生まれ出た最初から、死ぬ間際の最後まで、常に私たちの楽しみだ。

 私たちは、食べることで生きている。肌も髪も骨も、きっと心さえも、食べたもので作られていく。「あなたはあなたの食べたもので出来ている」という言葉がある通り、私たちは、日々、何かを食べて生きており、その記憶で人生を生きているのだ。

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 だから、長野県の施設で7年前に起こった出来事と、その後の「ドーナツ裁判」がずっと気がかりだった。裁判は先日、東京高裁で逆転無罪の判決が出た。ほっとした関係者も多かっただろう。入所していた当時85歳の女性が、おやつにドーナツを食べ、その後、死亡した事案である。配膳を手伝ったベテランの准看護師が、業務上過失致死罪に問われていた。

 高裁判決などによると、6日前に、おやつはゼリー状に変更との介護上の申し合わせがあったが、急に手伝いに入った准看護師は知る機会がなかった。従来はドーナツもお饅頭(まんじゅう)も普通に食べており、ゼリーへの変更理由も消化不良を避けるためで、嚥下(えんげ)力に問題があったわけではない。

 准看護師の起訴をきっかけに、日本中の介護施設で「介護の萎縮」が取り沙汰された。「事故が起きたら介護職が刑事訴追されるかもしれない」という不安から、嚥下力のある人にも、かまずに済む食べ物を出す傾向がみられた。介護職にとっても、介護される側にとっても、不幸なことだ。人生の質(QOL)を下げてしまいかねない。

 私は、「ドーナツ」だったことに心を動かされていた。今でこそいつでも手に入るお菓子だが、かつては特別なものだった。オーブンや電子レンジはおろか、オーブントースターさえ台所になかった時代に、家で作れる洋風のおやつは、ドーナツとホットケーキくらいだった。

 母と同年代の女性も、子どもの頃、そして成長してからも、ドーナツを手作りしたかもしれない。私も家でドーナツを作ってもらうのは、とてもうれしかった。

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 フランスの作家、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の中に、マドレーヌと紅茶で、子どもの頃の記憶がよみがえるというシーンがある。私たちのそれぞれに、子どもの頃に食べた何かの思い出があるはずだ。例えばドーナツとミルクのように。

 それを思い出すことは、回想法としても重要なことだ。「あなたはあなたの食べたもので出来ている」という言葉は、栄養素や体組成の話だけではない。人生を彩ってきたさまざまな食べ物の思い出によっても、私たちは、かたち作られている。

 だから、過度に事故を怖れて食の範囲を狭めるのは、高齢期には、悲しいことだと思う。安全面での様々(さまざま)な配慮は大切だ。その上で、嚥下力に問題がない限り、思い出の食べ物を、最後まで口にできる幸せを、奪わない取り組みを続けてほしい。それは、高齢者と介護者双方の、生きる喜びにつながるはずだから。

 【略歴】1957年、長崎県佐世保市生まれ。九州大法学部卒。81年、日本IBMに入社。ユニバーサルデザインの重要性を感じ、98年に(株)ユーディット設立。同社社長、同志社大教授など歴任。著書に「ユニバーサルデザインのちから」など。

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