「心も消入るばかりだ」息子2人が戦死…医師が記した終戦前後2カ月間

西日本新聞 北九州版 浜口 妙華

終戦前後2カ月分

 片山整形外科医院(北九州市八幡西区)の片山修史理事長(77)が、祖父で医師の愛而(あいじ)さん(享年95)が記した日誌から終戦前後の2カ月間を読み解いて冊子にまとめた。医師としての活動を記述する合間に、2人の息子を戦争で亡くした悲しみ、運命に翻弄(ほんろう)されながら奮闘する様子がつづられている。修史さんは「戦後75年を迎えた今こそ、この悲惨さを伝えたい」と話す。

 愛而さんは1880年に下城井村(現築上町)の医師一家に生まれた。医師になって家業の片山医院を継ぎ、1975年に亡くなる年までの53年間、日誌を書き続けた。

 45年7月11日、65歳の誕生日を迎えた愛而さんは、軍医としてビルマに出征した長男大一さんの戦死を知らされた。大一さんは修史さんの父だ。

 兼て覚悟の事にて其の場は自分ながら冷静なる事を感じたるも、人去り我に返ては抑圧する事出来ず、且つ無邪気の修史を見るに付け、(中略)止め度なく溢出で、時間の立つに連れ其の度は増す

 同月28日、大一さんの遺骨を引き取りに行橋へ向かったが、航空自衛隊築城基地の前身の築城飛行場に近く、空爆が相次ぐ。

 築城駅に着し間もなく空襲(中略)死を覚悟して爆弾、砲弾、機砲弾、地ヒビキ百雷一時に葬る如き音の内に数分立ち…

 8月10日、大一さんの村葬と自宅葬を行い、京都にいた六男則明さんは原爆投下直後の広島を通って帰省した。だが長崎にいた五男道生さんが帰ってこない。終戦を迎え、同月17日に道生さんを探しに長崎を訪れて、被爆直後の惨状を目の当たりにした。

 大学前には屍体 若き母が乳児を抱きてあるを 六歳位の男子眠るが如く 惨状目もあてられず 灰塵の内に散在するドクロ 四肢 膚 又集団的にソコココに黒き灰に白く浮かぶが如く

 長崎で道生さんの死を知り、同月19日に息子をまた1人、亡くした悲しみをつづった。

 御骨を抱て心も消入るばかりだ (道生さんが)其で持て居た時計、予が三十五年間持ったウオルサムは午前十一時五分で止り 硝子は破れ文字盤は変色りユガミ 其の時の様を物語る様である(中略)を思ひ昔を想時寝ても起ても居られず自分で自分の心を始末付かざる次第である

 愛而さんは、10歳で母も亡くした修史さんを、父親のように育てた。修史さんは「いつも一緒に風呂に入って故郷や先祖のことを聞かせてくれた。気骨のある人だった」と話す。

 5年前に作った冊子のタイトルは「夏、終わらざりき」。200部を作り、友人などに配った。戦時の状況に関心がある人から今も問い合わせがあるという。

(浜口妙華)

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ