仮設住宅と日台の絆

西日本新聞 上別府 保慶

 今回の記録的な豪雨を受け、台湾は義援金300万円を日本に届けた。台湾は東日本大震災や熊本地震など、日本が大きな災害に見舞われるたびに支援の手を差し伸べており、日本もまた、台湾で災害があれば即座に応援する親密な関係が続いている。

 忘れられがちだが、1972年に日中の国交が回復したことに伴い、日本と台湾の外交関係は断たれ、今もその状態が続いている。だが、李登輝総統の時代に台湾の民主化が進んだのをきっかけに、相互支援のパイプは太くなっている。

 その始まりは99年の台湾大地震だった。台湾中部の南投県を震源とするマグニチュード7・3の地震に際して、日本の消防救助隊がいち早く現場に入り、その人数も145人と世界の救助隊の中で最も多かった。

 この地震の死者は2415人、行方不明29人、負傷者は1万1千人を大きく超えた。この時、台湾を自国の一部と見なす中国は、国連の救助活動に中国の了解を取るよう求め、義援金も中華民国(台湾)名義では送らぬよう主張した。無論、台湾の人々は反発した。

 この時、衆院議員だった小池百合子氏が李登輝総統に電話し、仮設住宅を用立てたいと連絡した。小池氏は小渕恵三首相に取り次ぎ、千戸の住宅が到着した。

 地震発生から20日ほど。素早い対応だったが、李総統はここで考えた。台湾では仮設住宅を建てる場合、広さは12坪が普通だ。しかし届いた住宅は8坪しかない。1坪は約3・3平方メートルだから13平方メートルも狭いことになる。これでは入居者の不満を誘いかねない。

 そこで李総統は各戸に日本製のテレビと冷蔵庫を取り付け、洗濯機も共用の形で配置。周囲には軍を動員して、医療施設や公園、老人ホーム、スーパーマーケットまで一気に整備した。日本からの支援であることを強調し、親近感を高めるための配慮だった。

 総統を退いた李氏は後に「良好な関係は相手のメンツを立てることから始まる」と言ったが、こうした外交の大局をにらんだ細かな配慮が、今の日台関係の下地には息づいている。

 大局といえば、李氏は著書「台湾の主張」で、日本では優秀な人材が政治を志しても世襲でないと道は険しい状況を嘆いている。

 「(日本の政治家は)部分的なことには気が付くのだが、大局的な大枠の把握に欠けるようにみえる。なにかいつも、小手先のことばかり論じている。それは、その政治家の『能力』がないからではなくて、『信念』、あるいは自分に対する信頼感が欠落しているからなのである」と。

 もはや遺訓だが、今のコロナ禍で迷走する政治家にも振り返ってほしい。

 (特別編集委員・上別府保慶)

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