90年間守られた青い目の人形「ペッギイ」 日米開戦の苦難乗り越え

西日本新聞 筑豊版

モノが語る戦争 嘉麻市碓井平和祈念館から(15)

 日章旗と星条旗を前に整然と並んだ小学生と先生たち。写真は90年以上も前の大隈尋常高等小学校(福岡県嘉麻市)の記念写真だ。子どもたちは日米の国旗を手にし、中央の少女の膝の上には白い服を着た人形「ペッギイ」が抱かれている。1927(昭和2)年に米国の子どもたちから日本に贈られた青い目の人形だ。

 この頃、世界では第1次世界大戦後の新たな国際秩序がつくられようとしていたが、不安定な状況は続いていた。日本では海外移民が盛んに行われ、受け入れ先の米国では増え続ける日本人移民に対する排斥運動が激しくなっていた。

 そんな中、長年日本で活動していた親日家の米国人宣教師シドニー・ギューリックは、偏見のない相互理解こそが世界平和につながると、「世界児童親善会」を設立し、日本に友情人形を贈ることを計画した。

 人形製作会社で作られた1・5フィート(約45センチ)の人形を全米で子どもたちが買い取り、衣装を作り、名前をつけ、約1万2千体の人形が12隻の汽船でひな祭りに合わせて送られた。

 日本では、皇族や外交官、各界の名士、小学生の代表ら約2千人を招いて盛大な歓迎会が催され、全国の小学校へ贈られた人形も各地で大歓迎を受けた。

 しかし、14年後、日米は開戦。43年には、新聞やラジオで青い目の人形は「敵性人形」として「たたき壊せ」「焼き捨てろ」と宣伝され、激しい憎悪を向けられた。平和を願って贈られた人形は一変して子どもたちの敵意をあおるために利用され、全国で無残な形で姿を消していった。

 大隈尋常高等小学校のペッギイは、幸いにも当時の上野勝郎校長と縄田マツエ訓導が隠し、戦後も縄田の実家で大切に保管され、88年に再び大隈小学校に戻ってくることができた。

 皮肉にも人形を贈り、歓迎した日米の子どもたちは成長し互いに憎み殺し合う戦争に巻き込まれていった。苦難を乗り越えたペッギイは今も平和を願い伝えるメッセンジャーとして嘉穂小学校で子どもたちとふれあいを続けている。

(嘉麻市碓井平和祈念館学芸員 青山英子)

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 嘉麻市碓井平和祈念館が収蔵する戦争資料を学芸員の青山英子さんが紹介します。

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