戦争を防ぐために 中学3年生の声 こども投稿欄「ひまわり」特集

 もうすぐ終戦の日(15日)。「戦争をふせぐために必要なこと」というテーマで、ふくおかちゅうおう区の福岡教育大ぞく福岡中の3年生85人からとう稿こうがありました。先の戦争がなぜ起きたかをしっかり学習した上で、自分なりの考えをまとめています。6ぺんしょうかいします。

 

<互いの声を聞き合おう/牟田百合子(むた・ゆりこ)>

 今年でわたしくなって3年たつ。そんな祖父がつねに私に言っていたことがある。それは「戦争を二度と起こしてはならない」ということだ。今の日本において、戦争をふせぐにはどうするべきなのだろうか。

 私は、たがいの声を聞き合うべきだと思う。なぜなら、そもそも戦争は国同士がある問題について話し合いで折合いがつかなくなった結果、りょくかいけつしようとして起こるものだ。ということは、互いの声をよく聞けば、武力にいたる前で解決できるのではないかと思ったからだ。じっさい、日本は声を聞き合えず、あやまちをおかしてしまった。

 例えば太平洋戦争。この時、国民は治安法によってげんろんの自由をうばわれたため、国民の声がせいとどかず、そうりょく戦へと進んでいった。また、原子ばくだん投下でも日本からアメリカへ終戦の声が届かず、結果多くの人々の命が失われてしまった。

 戦後75年たった今、私たち、そして国全体がどれだけ「声」を聞き合えるかが、今後あのようなさんを起こさないかのかぎになると思う。

 

<メディアはアイデンティティーを/叶竣太(かのう・しゅんた)>

 最近はわかものが新聞を読まないらしい。なぜ若者の新聞ばなれが進むのか調べてみると、文字が多くて読むのが大変であったり、他のメディアでじょうほうを得たりすることができるため、新聞のゆうせんが低くなっているそうだ。

 しかし、わたしは他にもげんいんがあるのではないかと思う。それは新聞にかぎった話ではなく、メディアぜんぱんに言えると思うのだが、ないように問題にあるのではないか。最近、げいのうじんの失言やりんなどのほうどうが後をたないが、メディアはこんなことを報道する必要があるのだろうか。メディアのためのメディアになってしまっているのではないかと思う。

 かつて、75年前にせいによって情報とうせいされてしまった結果、国民の中には事実を知らないままくなってしまった方もいるにちがいない。もし、情報が統制されていなければ、戦争をふせぐことができたかもしれない。

 げんざい、日本には数々のメディアがある。もし情報統制が行われても、どこかから事実は伝わるのではないだろうか。どのメディアにもメリットとデメリットがある。戦争を防ぐためには、各メディアがそれぞれのアイデンティティーを持つことが必要になってくるだろう。

 

<戦争を学ぶ機会 積極的に/前田凜美(まえだ・りみ)>

 わたしは夏といえば「るのはか」をそうぞうする。両親を失ったきょうだいの第2次世界大戦の前後を必死に生きこうとする姿すがたえがいた物語だ。テレビで主に夏、放送されており、最高ちょうりつは21・5%だった。しかし、2007年から視聴率がきゅうげきに落ち1ケタに。2年前は6・7%に低下した。

 なぜ視聴率が低下したのだろうか。そのげんいんの一つに親のかんしょうがあると考える。親のかんしつけることだ。「戦争はおそろしい、こわいものだから見てはいけない」という考えにより子どもたちがしきしなくなっているのではと考えた。

 戦争は恐ろしいものととらえることは正しい。しかし、それらのかんじょうは歴史の教科書をパラパラとめくっているだけでは分からない。戦時下、国民はみなが戦争色にまりきんろう動員や学徒しゅつじん、学童かいを行っていた。国民はせいかくじょうほうを知らされないまま勝利を信じて戦った。今、私たちはげんろんとうせいされているわけでもかぎられたマスメディアしかないわけでもない。知るけんがある。

 戦争というつみの重さ、命のとうとさをわすれてはならない。そして、親は人生のせんぱいとして戦争との関わりをつのではなく積極的に学ぶ機会をあたえるべきではないか。戦争をかえさないために。

 

<日本という「眼鏡」を外して/田代明衣(たしろ・めい)>

 戦後75年。ばくかいされたけんぞうぶつがいまだに戦争のおそろしさを物語る。小学6年生の時にしゅうがく旅行でおとずれたながさきの町は、オランダの文化とゆうごうして一見はなやかではあったが、75年前のきずは変わらずに長崎の町に残されていてとても心がいたんだ。わたしはこのような戦争はもう起きてほしくない、そう思った。

 では、戦争をふせぐために必要なこととは? 私は日本というがねてん)を外して、世界のさまざまな国の眼鏡をつけて、戦争について考えることだと思う。つまり、日本と世界が考える戦争のかんことなるということだ。この異なった価値観は人々のすれちがいをうみ、メディア上でも戦争をぜんとするか、悪とするかはそれぞれだ。私はぜひ、この価値観の違いをしゅちょうするのではなく、交流していきたい。

 じゅつかくしんは進み、ネットでは全世界の人とつながれる時代となった。戦時中のげんろんとうせいで人々の言論がせいげんされた時代とは違う。私たちには言論の自由がある。だからこそ、メディアをうまく活用してさまざまな国の戦争に対する価値観と交流することが求められる。そして、価値観をみとめ合えれば、戦争というかいけつしゅだんを選ばずにむのだ。私たちが戦争というがいねんくずして視点を変えてみることが第一歩だと思う。

 

<歩み寄り、対話重ねて/松尾知宙(まつお・ともひろ)>

 戦後75年、だれしもが一度は聞いたことであるだろう「戦争」。日本は1945年8月15日、ポツダムせんげんじゅだくにより敗戦をしている。

 日本はげんざい、日本国けんぽうにより、平和しゅをかかげている。つまりは戦争ほうである。今の日本の安全は戦争放棄によりきずかれ、ぜったいこわしてはいけないものである。

 だから、戦後100年、200年と安全であるためには、ふたたび戦争を起こさないための考え、行動が必要である。

 戦争のたいは対話だ。平和ではない。戦争とはたがいのせいりょくげんした行い、対話とは互いの正義を言葉で具現化した行いである。つまり、戦争を起こさないためには、互いがあゆり話をすることが重要だ。

 また、戦争にはどちらにもがある。事実太平洋戦争もそうだ。ブロックけいざいけんかくだいしようとする日本。植民地をぼうえいするアメリカなど。しかし、それらを理由として戦争をすることはゆるされない。

 つまり戦争とは自国のそんえいのために、自国の理由を正当化することで引き起こる。だから、ぼくらは、自国の意見をきゃっかんし、互いに歩み寄ることが必要である。

 

<「環境」を守り、良くすることで/有村一花(ありむら・いちか)>

 戦争をふせぐにはかんきょうを守り、良くしていくことが必要だ。この環境とは安心、安全、健康、えいせいてきな社会のことだ。

 人はがくるとぶんだんし始める。他国より自国、人より自分という考えになるからだ。それは、求める物、げんけんじゅつなどがあるからだ。

 そもそも、人が戦争を起こすのはよくぼうからだ。なのに戦争によって・技術を持った人の命、歴史的書物、ぶんざいけんぞうぶつなどの大事な物がなくなる。じゅんしている。ひんこんいきでは生活や家族のために戦争に加わる。つまり、環境が良くなれば戦争は必要ない。しかし、しゅうきょうや思想は、じんによってちがう。

 このかいけつには時間がかかる。平和的解決例として、最近では、なかむらてつさんらが、豊かな農業国であったアフガニスタンを、かんばつとせんらんの続く中、緑の大地計画をし、長大な農業用水路をけんせつばくし、こうはいした土地を緑によみがえらせたプロジェクトを行った。英知と愛で環境を守ったといえる。

 すべての国々の環境を良くし、「人の物をうばわない、守る」環境のバランスをつくる。それが、戦争のない平和な世界へみちびく一歩になるのではないか。

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