【動画あり】被爆者運んだ「救護列車」 朗読劇で伝える悲惨な記憶

西日本新聞 長崎・佐世保版 古長 寛人

 長崎市で被爆直後、救護列車で運ばれた被爆者や受け入れた地域の姿を知ってもらおうと、大村市松原地区のグループ「松原の救護列車を伝える会」は、当時の衛生兵の証言に基づく朗読劇を動画投稿サイトユーチューブ」で公開している。同会は、新型コロナウイルスの影響で活動できない状態だが、田口哲也会長(51)は「戦後75年に、救護列車を巡る悲惨な記憶を広く伝えていく機会にしたい」と話す。

 同市には海軍病院があり救護列車で多くの人々が運ばれ、松原小にあった海軍医務室に勤務した衛生兵の福地勝美さんは当時の様子を戦後、手記にしていた。

 「ほとんどの人が裸の状態で、触ると皮がべらりとむけるほど、ひどいやけどだった」、「患者の中には女の子が多かった。学校を休んで武器や船を造る工場で働いていた」などと振り返り、首や手が動かない女の子を「ひどいことに木の棒が刺さって頭を突き抜けていた」と回顧している。

 地元でも戦後世代には、救護列車のことはあまり知られておらず、2013年、同小育友会(PTA)の有志らが福地さんの聞き取り取材に着手。同年11月に福地さんは88歳で亡くなったが、ほかの高齢者からも話を聞き、2年後の戦後70年を機に、保護者6人で「伝える会」を結成した。

 これまで、長崎原爆の日に行われる市内小中学校の平和学習などで朗読劇を披露。手当てに従事し、被爆者を励まし続けた当時の婦人部の証言なども取り入れた。今夏はコロナ禍で、朗読劇を収録した約24分のDVDを急きょ制作し、平和学習で活用してもらおうとしたが、感染再拡大で市教育委員会は登校日自体を取りやめた。

 このため、会はDVDの内容をユーチューブで公開することに。メンバーの1人、村川一恵さん(44)は「学校だけでなく、家庭での平和学習に役立てて。戦争や原爆の愚かさを考える資料として発信したい」と語る。 (古長寛人)

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