集団訴訟の到達点 19連敗の国が基準を緩和 原爆を背負って(62)

西日本新聞

 勝訴、勝訴、勝訴、勝訴-。司法はことごとく被爆者の訴えを支持しました。2003年、弁護士の呼び掛けに応じた被爆者が全国で起こした原爆症認定集団訴訟は、国が19連敗する異例の事態になりました。

 国は爆心地からの距離などで被ばく線量を推定する計算式「DS86」を基に、被爆者を切り捨ててきました。03年当時の原爆症認定患者は、被爆者約27万人のうち2200人程度。1%にも満たなかったんです。

 申請から決定まで、時間もかかります。異議申し立てをすれば、結論が出るまで数年も待たされることがありました。司法に訴えても、国は負ければ控訴します。高齢化した被爆者が死ぬのを国は待っているんじゃないかとすら思えました。

結論がなかなか出ない検討会に業を煮やし、今春、日本被団協で国会に要請活動をしました

 集団訴訟には全国で306人が原告に加わりました。核兵器は廃絶されない、国家補償の援護法もできない。「せめて国に一矢報いたい」という被爆者の思いがあったんじゃないかなぁ。日本被団協や長崎被災協は全面的にバックアップしました。

 集団訴訟が始まった年、長年運動を引っ張ってきた山口仙二さんが第一線を退きました。長崎市から雲仙市の老人施設に移ったんです。体調悪化が理由でした。このころから、仙二さんに代わって集会でマイクを握る機会が増えたと思います。

 連敗が続いた国は08年と09年、原爆症認定基準を緩和します。「爆心地から3・5キロ以内で被爆した場合、がんなど7疾病は積極認定する」としました。そして09年8月、当時の麻生太郎首相は控訴を取り下げ、一審に勝訴した原告を原爆症に認定し、敗訴した原告にも一時金を支払うことを政治決断しました。私たちは国に勝ったんです。

 10年12月には、国と日本被団協の協定書に基づき、原爆症認定制度を見直すための検討会が厚労省にできました。学者や弁護士のほか、日本被団協の役員も委員に入っています。でも、検討会は国側の抵抗に遭ってなかなか前に進んでいません。

 その間も、新認定基準の下で申請を却下される人が相次いでいます。積極認定の対象疾病でも、国は「放射線起因性が認められない」と突っぱね続ける。原爆被害を小さくしようとする姿勢は変わってないんです。被爆者全員が救済される制度が、一日も早く実現することを願ってやみません。(聞き手 久知邦)

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 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

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