幻の豊前絵図、民家で見つかる 原本は焼失「史料的価値高い」

西日本新聞 社会面 吉川 文敬

「正保国絵図」の写しか

 江戸初期の正保年間(1644~48年)に、幕府が全国の藩に命じて国単位で作製させた地図「正保国絵図」のうち、豊前国(福岡県東部と大分県北部)を描いたものが6月、大分県中津市の民家で見つかった。各藩が提出した国絵図は明暦の大火(57年)で焼失、豊前国絵図は現存が確認されていない。原本の「写し」とみられ、調査した同県宇佐市の県立歴史博物館は「史料的価値は高い」と評価。防災の観点から調査に期待する声も上がっている。

 同館によると、見つかった国絵図は縦278センチ、横267センチ。作製年代は不明だが、国絵図に残る中津藩主の官職名などは1640年代の情報とみられる。各藩が焼失後の寛文年間(61~73年)に再提出した正保国絵図は、藩主名や地名などが更新されており、今回見つかったものは焼失前の内容を伝える写しと考えられる。歴史地理学会会長で茨城大の小野寺淳教授は「焼失前の正保のものと明確に確認できたものは今のところない」と話す。

 豊前国は小倉藩と中津藩が治めていた。国絵図の小倉藩内は村名や道路、主な山名の記述だけだが、中津藩や隣接する天領は村や郡ごとの石高や村と村との距離などを詳細に記載。小倉や中津からの海路も記されており、浅瀬などの場所も描かれている。

 同館の村上博秋学芸調査課長は「絵図元だった小倉藩が幕府に提出する際に取っておいた控えから、中津藩が自領分を中心に書き写したものでは」と推測。一方、日出町歴史資料館(大分県日出町)の平井義人館長は「中津藩が、小倉藩に担当分を提出する前に、自領分や天領の内容を控えとして残した」とみる。

 東亜大の川村博忠名誉教授(歴史地理学)は「石高や道路などから当時の米生産力や地域間のつながりなどの再発見もあるのでは」と期待する。

 一方、小野寺教授は南海トラフ地震など自然災害を念頭に「江戸初期の詳しい地形が分かれば、川の流れの移動や、地震・津波による村落の消滅や地形の変化も分かり、防災の観点からも有用だ」と話す。

(吉川文敬)

 【正保国絵図】江戸幕府が全国の大名に計4回(慶長、正保、元禄、天保)作製させた地図作製事業で、正保元(1644)年に命じたもの。各藩が協力し国ごとに作製し、幕府に集められた。明暦の大火による焼失後、事実上、2度目となる編さん作業が寛文年間に行われたが、その原本も明治初期に焼失し、写しが国立公文書館(東京)に保管されている。

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