黒田清輝とマリアの間 大串誠寿

西日本新聞 オピニオン面

 福岡県久留米市美術館で開催中の「白馬のゆくえ」展で、女性を描いた2枚の絵を見た。黒田清輝の「読書」と「婦人像(厨房)」。教科書にも頻繁に取り上げられる名画だ。

 モデルはマリア・ビヨー。黒田と淡い恋愛関係にあったという。黒田自身は言及していないが、彼の友人や関係者は二人の間に恋があったと語る。果たして本当だろうか。

 鹿児島県出身の黒田は明治の元勲を養父に持ち、政治家としての将来を約束されていた。17歳で法律学を修めるためフランスに渡ったが画才に目覚め21歳で画家に転じた。

 黒田は23歳でパリ郊外のグレー村に拠点を移した。下宿先の娘マリアを見いだし「読書」を描いた。絵から2人の遠慮と、ためらいがちな接近を観察できる。赤い服は黒田がパリの百貨店で求めてマリアに与えたという。鎧戸(よろいど)から差し込む光だけで描くため部屋は閉め切っていた。本を読んでいて構わないからそこに座っていてくれと頼んだのだろう。労作は権威ある美術展サロンに入選した。画家となってわずか3年半後の成果だった。あふれる才気にマリアは心酔しきったことだろう。

 翌年に描いた「婦人像(厨房)」では、マリアは正面から画家に対峙(たいじ)し、モデルに専念している。ただし黒田の帰国を予見するかのように彼女の目線は遠く、物憂げに見える。絵には離別の予感と憂悶(ゆうもん)が現れていよう。その予感通り、大作を描いた年の暮れ、黒田はグレー村を去った。

 日本に帰国した黒田は気鋭の画家として活躍する。美術団体「白馬会」を設立して日本の洋画壇をけん引した。

 美術界で中心的存在となっていた33歳の黒田は、文部省から視察とパリ万博用務を下命され、再びパリへ渡った。1年に及ぶ外遊中、黒田はマリアと再会した。しかし長い空白は、2人の心に隔たりをもたらしたらしい。友人は黒田の部屋で、マリアの泣き顔を見たと語っている。

 マリアの絵の二つの顔と再会後の涙。三つの表情をつなげると黒田関係者の証言の信ぴょう性は高まる。

 絵は画家とモデルの間に存在し、その場の空気を刻んだ物証だ。美術館で実物を鑑賞すれば二人の思いの深さを探ることができる。 (写真デザイン部部長同等)

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