花輪踏みつけ事件 憎いのは核兵器 原爆を背負って(65)

西日本新聞

 米国は「原爆投下は正しかった」という大統領発言だけでなく、被爆者の気持ちを踏みにじる行為をしたことがあります。1989年9月、核兵器搭載の疑いがあった軍艦「ロドニー・M・デイビス」を長崎市に寄港させたんです。

 私たちは怒った。原爆で家族を失い、後遺症に苦しむ被爆者にとって、核兵器を積んでいるかもしれない軍艦の入港は許せなかった。すぐに長崎港を管理する県に入港拒否を要請し、福岡の米国領事館にも取りやめるように伝えました。しかし、松が枝埠頭(ふとう)に詰めかけた約400人の被爆者らが「出て行け」と抗議の声を上げる中、デイビスはわが者顔で入港したんです。

 翌日、デイビスの艦長らが平和公園に献花する予定になっていました。原爆投下への謝罪もなく、核搭載疑惑がある軍艦で来ておいて「慰霊のため」などと言う。犠牲者への冒涜(ぼうとく)です。当時、長崎被災協の会長だった山口仙二さんを先頭に、平和祈念像の前に座り込みました。軍服姿の艦長は威圧的にこちらに向かってきます。挑発に乗ってはいけないと、怒りで震える体を押さえました。

山口仙二さんを中心に平和祈念像前に座り込みました。後列の右から2人目が私=撮影は黒崎晴生さん

 祈念像の手前に花輪を置き、立ち去った艦長。追いかけたカメラマンの足が、立て掛けていた花輪に当たり、倒れました。そのときです。「これは献花じゃない!」。そう言って、仙二さんが花輪を踏みつけました。家族を失った被爆者2人も続き、何度も何度も踏みつけました。

 この行動は、市民の激しい非難にさらされました。でも、あの場にいた被爆者の気持ちはみな同じでした。全員でやっていれば、非難が集中することもなかったと思うと、仙二さんたちには悪いことをしたなぁ。

 デイビスの寄港の目的は、補給と休養だったそうです。なぜ、米軍基地のある佐世保じゃなく、長崎だったのか。意味が分かりません。慰霊のために献花がしたいと言うなら、毎年夏の平和祈念式典に参列すればいい。米国が政府代表を式典に送ったのは、戦後65年以上がたった2011年になってからでした。

 私たちは米国が憎いんじゃない。核兵器が憎いんです。確かに米国を恨んだことはある。でも、恨みつらみを乗り越え、二度と被爆者を生まないために運動をしているんです。その気持ちが伝わらないのでしょうか。(聞き手 久知邦)

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 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

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