幻の豊前絵図、捨てる寸前だった 「ごみみたい」から一転…

 大分県中津市の民家で発見された「正保国絵図」の写しとみられる豊前国(県北部と福岡県東部)の地図は、捨てられるところだった。自宅に保管していた室貴子さん(84)は「歴史に興味がなく、ごみみたいなものと思っていた。夫が『すごいものかもしれないぞ』って言ってくれなかったら、とうに捨てていた」と話す。

 発見された国絵図を調査する県立歴史博物館(宇佐市)の村上博秋学芸調査課長によると、明治期に、福岡県旧高浜村小祝の旧中津町編入に多大な貢献をした城戸崎健三郎(1825~1914)が1882年、播州安志(兵庫県)に住む人物から譲り受けたとの記載が地図上にあるという。城戸崎は室さんの曽祖父。

 安志には、中津藩主の座を追われた小笠原家が1717年、幕府の特別な配慮で安志藩主として返り咲き、明治まで続いた歴史がある。村上課長は「安志の小笠原家関係者が所有していたものではないか」と話す。後世の作で、写し自体の作成年代も不明だが、「豊前国の正保国絵図自体が確認できない今、その史料的価値の高さは変わらない」と評価する。

 国絵図には、「嶋田(島田)」「蛎瀬」「柿坂」「四日市」「宇佐」「長洲」など今もある県北地域の地名が並ぶ。現在は山国川の中州のようになっている中津市小祝は「小今井」という古名で記され、福岡県吉富町側と陸続きで描かれるなど、今とは違う地形の様子もうかがえる。

 中津市の南部公民館で6月下旬にあった初回の調査には、村上課長をはじめ、室さんの夫の富勇さん(86)らも参加。富勇さんは「そんなにすごいものとは思わなかった」と驚きを隠さなかった。同博物館は今後も調査を続ける方針で、室さんは、個人蔵では将来が不安として、国絵図や城戸崎関係書類の同館への寄贈を希望している。同館は「検討したい」としている。(吉川文敬)

 正保国絵図 江戸幕府が全国の大名に計4回(慶長、正保、元禄、天保)作製させた地図作製事業で、正保元(1644)年に命じたもの。各藩が協力し国ごとに作製し、幕府に集められた。明暦の大火による焼失後、事実上、2度目となる編さん作業が寛文年間に行われたが、その原本も明治初期に焼失し、写しが国立公文書館(東京)に保管されている。

大分県の天気予報

PR

開催中

第13回あんぱんパーク

  • 2021年10月21日(木) 〜 2021年10月28日(木)
  • ベイサイドプレイス博多 海側イベントスペース
開催中

第5回写遊会 写真展

  • 2021年10月15日(金) 〜 2021年10月29日(金)
  • まいなびギャラリー(北九州市立生涯学習総合センター1階)

PR