国との距離は縮まらず…二つの被爆地、「使命」模索した75度目の夏

西日本新聞 社会面 徳増 瑛子

 原爆投下から75年を迎えた広島市と長崎市。それぞれの市長が読み上げる「平和宣言」で核兵器廃絶を訴えた式典は、ともに新型コロナウイルスの影響で参列者を昨年の1割に絞り、多くの行事を縮小するなど異例の形で行われた。被爆者の思いを次代にどうつなぐか。二つの被爆地が模索した夏を振り返る。

 6日にあった広島市の平和記念式典。占領下の1947年「第1回平和祭」に始まった「放鳩(ほうきゅう)」を取りやめるなど簡素化はされたが「慰霊、平和への祈念、次世代継承、の三つの骨格は保った」と同市。長崎市で9日に開かれた平和祈念式典も式次第そのものは例年と大きくは変わらなかった。コロナ禍の中、平均年齢83歳を超えた被爆者が多く参加する式典を中止や延期にしなかったのは被爆地の使命感ゆえ、と言っていい。

 広島原爆で胎内被爆した渡辺静枝さん(74)=広島県呉市=は初参列した広島の式典について「感染対策に苦心して開催にこぎ着けてくれた。感謝です」。長崎でも入場口ではフェースシールド姿の職員が体温を測り、手の消毒を促して参列者を会場に招いた。

 ただ、一般市民との「距離」は広がった。広島では参列者と一般市民の動線を分けようと原爆慰霊碑前を通る一方通行のルートで入り口を1カ所に絞った上、午前7時には付近を封鎖。長崎も式典の一般参列を見送ったため、立ち入り規制がなかった近くの爆心地公園さえも人影は少なかった。

 そして国と被爆地の「距離」も縮まらなかった。

 「唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し『連帯』するよう訴えていただきたい」(松井一実・広島市長)

 「『戦争をしない』という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください」(田上富久・長崎市長)

 それぞれの「平和宣言」で政府に核兵器禁止条約の署名と批准を迫ったが、安倍晋三首相はあいさつで条約に触れず、その文面も広島と長崎で酷似していた。

 コロナ禍の式典。それはやがて訪れる「被爆者なき時代」の式典と重なり合う風景だったのか-。

 中止、縮小された行事の一方、オンラインで各地を結ぶ取り組みも目立ち、平和発信の新たな可能性も感じさせた。ただ、被爆地という場に立ってこそ、五感で得られる体験があることも忘れてはならない。二つの式典は、それをあらためて実感させた。長年続けてきた式次第を踏襲していくだけで、国に被爆地の思いは届くのか。被爆76年に向けての課題が浮き彫りになった。

 (西日本新聞・徳増瑛子、中国新聞・山本祐司)

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