あの日、何を報じたか1945/8/21【灯火管制を解除 きのう直に全国に実施】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈大東亜戦争終結後の国民生活明朗化に関し、大御心を拝して、政府は直ちに関係当局においてそれぞれ具体的措置を講じつつあるが、内務省防空総本部ではとりあえず灯火管制規則第四条に基づくいわゆる準備管制の解除を行うこととなり、二十日正午を期してこれが解除命令を発し直ちに実施する〉

 1938年4月に敷かれた灯火管制が、7年を経てようやく解除された。20日付の紙面には、8月19日の臨時閣議で、首相が昭和天皇に拝謁した際に〈「戦争終結後の国民生活を明朗ならしめよ、例えば灯火管制を直ちに中止し街を明るくせよ、また娯楽機関の復活を急ぎ信書などの検閲を速やかに停止せよ」とのありがたき御沙汰を賜った〉とある。その翌日、灯火管制は解除された。

 21日付の記事はこう続く。〈屋外灯、看板灯、道路灯、門軒灯、作業灯および三階以上の灯火などは二十日夜より一斉に点灯しうるわけで、大御心を拝し夜の街は数年ぶりで明るさを取り戻すこととなった〉

 関連記事では、九州地方総監府も二十日正午に全九州の灯火管制を撤廃したことを伝え、一方で警報発令の場合は灯火管制をする旨も付記。街路灯については〈まず北九州五市、福岡、長崎、佐世保、久留米、熊本、鹿児島、別府の各都市から〉復旧とし、〈これで福岡市だけでも四千個の街路灯が一両日中に〉復旧すると伝えた。

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 一方、戦後の混乱が本格化するのはこれからだった。

 〈突然襲った苛酷な現実の前に国民の一部にはややもすれば落ち着きを失い足が宙に浮いている者も見受けられる。こんな心の隙間から種々の笑うべきデマが乱れ飛び、ますます不安混乱を助長する結果になり、特に最近各都市で「アメリカ兵が上陸してきたら鉄道が止まる」「一刻も早く田舎に逃げねば」等々の根も葉もないデマに迷わされて駅に殺到する者が多い〉

 前日の紙面で博多駅長が「毎日ほとんど徹夜」と語るほどの国鉄の忙しさの背景について、記事は「民心の不安」を指摘、運輸省輸送第二課に実情を取材している。

 〈今後は軍隊の復員輸送、徴用解除者および動員学徒の輸送などのため、列車はなお当分相当の制限を受けるが、当局としてはこの際臨時列車の増大を図り、民需品の輸送と旅客運搬に関する制限をなるべく寛大に取り扱いたいと思っている〉

 「運輸省五十年史」によると、戦争による国鉄の被害は軌道が総延長の5%約1600キロメートル、車両は機関車14・4%、客車19・1%など深刻だった。さらに物資が窮迫する中で酷使され、「施設や車両の荒廃も甚大であった」としている。

 戦時中を超える運輸需要が発生する中、混雑する駅や車両を目にする人々が、さらに鉄道に足を運んだ。運輸省側は〈客車の不足には貨車をあて、貨物列車でも空箱は旅客運搬に利用する〉〈できるだけ早く定期旅客列車の運行も考慮している〉など施策を挙げ〈この際、軽挙妄動していたずらに混雑を助長するような行動はお互いに慎んでほしい〉と訴えている。

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 〈〉の部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

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