核廃絶の道遠く 「9.11」が変えた世界 原爆を背負って(67)

西日本新聞

 2000年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の成果などを受け、世界は確実に核軍縮に向かっていくはずでした。しかし、翌年、状況は一変します。

 01年9月11日。世界を震撼(しんかん)させる事件が起きました。ニューヨークの世界貿易センタービルに航空機が突っ込み、罪のない人々の命が奪われた同時多発テロです。テロは絶対許してはいけない。でも、その後の米国の対応は常軌を逸していました。

 ブッシュ大統領はすぐに「報復」を宣言し、翌月、テロ組織を追ってアフガニスタンに侵攻。圧倒的武力でタリバン政権を制圧し、駐留を続けました。さらにイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」「大量破壊兵器を保有するテロ国家」と非難。03年には、国際世論の批判を無視してイラク戦争に突入しました。

「核兵器廃絶」を掲げ、下平作江さんたちとニューヨークを行進しました

 そればかりか、ロシアとの弾道弾迎撃ミサイル制限条約を一方的に破棄し、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准も拒否。小型核兵器の開発にまで言及しました。

 危機感を持った私たちは、老いた体にむち打って運動に励みました。5年に1度のNPT再検討会議を控えた04年、米国の国連本部で開かれた準備委員会に長崎被災協の代表として出席し、各国大使が集まる場で核兵器廃絶をアピールしたんです。

 現地で感じたのは、核保有国と非保有国の対立です。核軍縮に逆行しながら、非保有国の核の平和利用を制限しようとする米国に批判が集中しました。あきれたのは面会した日本大使の発言です。「米国の核の傘があるから、北朝鮮に攻められずに済む」。北朝鮮が核開発を進めていた問題があるのは分かりましたが、その言動は被爆国の代表ではなく、米国の代弁者のようでした。

 そして迎えた05年のNPT再検討会議。長崎からは私のほかに、語り部の下平作江さん(78)らが参加しました。国連本部近くからセントラルパークまで横断幕を手に行進し、赤い背中の写真が入った自分の名刺を配って、核兵器の使用や威嚇の愚かさを市民に訴えました。

 でも、懸念した通り、核保有国と非保有国の対立で会議の大部分は空転。成果は何もありませんでした。「核兵器廃絶への明確な約束」を最終文書に盛り込んだ00年の再検討会議から、大きく後退する結果になりました。(聞き手 久知邦)

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 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

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