ノーベル賞候補に 世界に認められた瞬間 原爆を背負って(68)

西日本新聞

 被爆者や非核を願う人々の期待を裏切った2005年5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議。ですが、核兵器の使用が何をもたらすのか、米国市民や各国政府代表に広く訴えることはできた。中でも、国連本部で初めて「原爆展」が開催できた意義は大きかったと思います。

 原爆展は会議期間中の3週間余りにわたり、日本被団協が開催しました。ロビーと地下の連絡通路の2カ所に、被爆直後の広島、長崎の写真など30枚のパネルを展示したんです。その中に、1970年に新聞に出て以来、世界中で知られることになった赤い背中の写真もありました。

 日本被団協はその数年前から、国連の会議に合わせて私の写真などを展示しようとしました。でも「残酷すぎる」と職員に断られました。そうは言っても、長崎、広島で起きたことは事実だから、目を背けてもらっては困る。何度も交渉を重ね、05年の開催にこぎ着けたそうです。原爆展の横には被爆者が証言する場所もつくられ、多くの人の共感を得ることができました。

ノーベル平和賞の候補に上がるたび、記者たちが詰め掛けます

 国連の各国代表だけでなく、米国各地の市民とも積極的に交流を深めました。国際世論を無視して始めたイラク戦争が泥沼化していた影響もあったと思う。米国市民の多くは、私たちの訴えに熱心に耳を傾けてくれました。

 帰国して7カ月ほどたった05年末、うれしいニュースが飛び込んできました。ノルウェーで開かれたノーベル平和賞の授賞式で、日本被団協が名指しで称賛されたんです。ノーベル賞委員会のウーレ・ダンボルト・ミエス委員長は「広島、長崎への原爆投下後、世界は悲劇を二度と繰り返してはならないとの思いを共有した」と語りました。

 ノーベル賞の候補に挙がったのは、このときで少なくとも5回目。受賞は逃しましたが、日本被団協の活動が世界に認められた瞬間でした。原爆の後遺症に苦しみながら核兵器廃絶を訴えてきたことや、米同時多発テロ以降の精力的な活動が評価されたと聞いています。

 その後も何回かノミネートされていますが、いまだ受賞には至っていません。別に賞がほしくて運動をしているわけではないけどね。日本被団協の受賞は世界の反核運動の弾みに、きっとなると思うんです。(聞き手 久知邦)

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 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

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