オバマ大統領登場 閉塞感が吹き飛ぶ思い 原爆を背負って(69)

西日本新聞

 テレビにくぎ付けになりました。映っていたのは、黒人初の米大統領バラク・オバマ氏。2009年4月、チェコのプラハで演説したオバマ大統領は、こう言ったんです。「核兵器のない世界を目指して具体的な方策を取る」と。

 01年の米同時多発テロ以降、米国は世界的な核軍縮の流れに逆行していました。核拡散の懸念は続き、06年にはとうとう北朝鮮が核実験に成功し、「長崎を最後の被爆地に」と訴えてきた私たちにはむなしさばかりが募りました。

 そこに登場したのが、オバマ大統領です。かつて原爆投下を堂々と正当化した大統領もいましたが、彼は違った。「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的責任がある」と言い、核なき世界実現への決意を見せたんです。ここ数年の閉塞(へいそく)感が吹き飛ぶ思いがしました。でも、手放しで喜べなかった。期待しては裏切られ、を何度も経験しているからね。逆戻りするんじゃないかという不安は常にありました。

プラハで「核なき世界の実現」への決意を語ったオバマ米大統領

 1カ月後、17人のノーベル平和賞受賞者が、核兵器廃絶に向けて各国や市民に行動を促す「ヒロシマ・ナガサキ宣言」を発表します。プラハ演説の好機を生かし、翌年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議につなげる狙いがあったそうです。これには励まされた。戦後、核兵器が使われなかったのは、被爆者のおかげだと称賛されたからです。

 もし、長崎、広島の被爆者が原爆でみな死んでしまっていたら、地図に名前が載っていても、人がいない国がいくつもできたでしょう。使うために造った兵器を使わせなかった。生き残った被爆者が苦しい思いをしながら、世界に訴えてきたからこそだと思います。

 09年12月、オバマ大統領にノーベル平和賞が贈られました。具体的な成果がない中での受賞。半世紀以上、運動してきた私たちからしたら複雑な気持ちもあったけれど、世界中の期待の表れと受け止めました。

 NPT再検討会議が近づくにつれ、「何が何でも米国に行く」という思いを強くしました。このとき80歳。年齢的に最後の渡米になるかもしれない。オバマ大統領の登場で変わろうとする世界。原爆に人生を狂わされた者として、核廃絶の道筋が付くのをこの目で見届けたかったんです。(聞き手 久知邦)

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 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

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