「今より出発」特攻隊の肉声忘れない ラジオに涙止まらず 91歳

西日本新聞 筑後版 平峰 麻由

 久留米の永渕さん「戦争は悲しい」

 福岡県久留米市田主丸町の永渕悦子さん(91)には、戦争と聞くと頭の中でよみがえる音がある。女学生時代にラジオで聞いた、戦闘機の爆音や、特攻隊員の出撃前の肉声だ。当時の写真や新聞記事を手に、75年前の記憶を振り返る。

 1944年12月17日午後8時すぎ、永渕さんは京都府の自宅で家族とラジオに耳を澄ませた。スピーカーからは戦闘機のエンジンのけたたましい爆音が流れ、司令官の訓示後、特攻隊員7人が次々に肉親への別れの言葉を述べた。永渕さんと年の近い学生もいた。

 「お母さん、小さい頃からいろいろと世話になりました」「誓って大任を完遂いたします」「今より出発いたします、ご機嫌よう、さようなら」

 永渕さんは「誰一人として恐れる様子はなく、堂々とした声だった。悲しくて涙が止まらなかった」と回想する。当時の西日本新聞によると、7人はフィリピン・レイテ島沖の敵艦船を目がけて出撃、特攻攻撃に散った。

 当時、女学校3年生だった永渕さん。学徒動員で「赤とんぼ」と呼ばれる特攻隊員の練習機の補助翼を作っていた。骨組みは木製で、設計図を基にわずかな狂いもないよう、かんなで削った。「特攻隊員のお役に立っていると信じて、つらい作業も耐えた」

 ラジオは女学生の間でも話題になった。翌年2月、工場の慰労会で、永渕さんはラジオを基にした劇を上演した。茶褐色の服を軍服に見立て、革靴の代わりに長靴を履いた。爆音はピアノで再現した。永渕さんはラジオに出てきた三上正久少尉の役を、彼になりきって演じた。

 「誓って君国のために重任を全うする覚悟です。一機一体となって体当たり、敵艦を倒さずにはおきません。身はたとえ南海に散るとも霊魂は長く祖国にとどめ皇国の安泰を守ります。喜んで死につきます。父上、母上、晴れの壮途を喜んでください」

 劇が終わる頃には、見ていた女学生も自身も、涙にぬれていた。

 終戦後、父の古里の田主丸に移り住んだ永渕さん。大人になって、三上少尉らの新聞記事を探し、三上少尉の両親の談話が載った紙面を見つけた。「可愛(かわい)い倅(せがれ)の声ですから幾度も聞きたいやうにも思ひますが、二度と聞きたくないといふ気持ちもします」

 永渕さんは「あの頃は純粋に感動したが、ラジオは国民の士気を高めるためのものだったと思う。若い命が奪われ、国民も応援して…。戦争ほど悲しいものはない」と顔をゆがめた。

 ラジオから流れた、あの肉声を忘れることはない。 (平峰麻由)

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ