100年前のオリムピックつづる「いだてん」の絵はがき 親族が玉名市に

西日本新聞 熊本版 宮上 良二

第1次大戦直後の世情垣間見え

 日本人初の五輪マラソン選手の金栗四三(かなくりしそう)が、2回目の五輪となったベルギーのアントワープ大会に出場した際、遠征先から見聞をつづったいとこ宛ての絵はがき8通が見つかり、親族が熊本県玉名市に寄贈した。金栗は筆まめで知られるが、五輪遠征時のまとまったはがきは珍しいという。心を許したいとこへの率直な文面からは、第1次世界大戦から間もない欧米の国々の世情も垣間見える。

 いとこは、後半生を玉名市で過ごした金栗の住家の隣に住んでいた池部進(1947年、63歳で死去)。金栗も学んだ東京高等師範学校(現筑波大)の7年先輩で、金栗は社交的な池部を慕っていたようだ。

 今は空き家の池部宅を管理する孫の池部純一さん(69)=上天草市=が3月、保管していた遺品の調査を玉名市立歴史博物館こころピアに依頼し、はがきが見つかった。純一さんは「金栗の顕彰に役立ててほしい」と7月、他の書籍や愛用品とともに寄贈した。

 アントワープ五輪の開催は、ちょうど100年前の1920(大正9)年。金栗は12(明治45)年のストックホルム五輪に初出場して途中棄権。雪辱を期した16年のベルリン五輪が第1次世界大戦で中止となり、終戦から2年目、29歳で二度目の五輪に臨んだ。

 金栗ら日本人選手は航路、米国経由でベルギーへ向かい、金栗は行く先々から池部にはがきを送った。「小学校を見ましたが、仲々開放してのんき…」(サンフランシスコ)、「大戦のあとの様にはなく町も元気」(ロンドン)、「戦のあととも見えぬ賑(にぎ)やかさ」(パリ)と戦勝国からは活気が伝わる。一方、敗戦国では「子供などの顔色は青ざめて元気ありません」(ポツダム)と一変する。

 金栗のアントワープでの成績は16位。不本意な結果だったが、はがきで五輪に言及したのは「オリムピックの競技は日本大敗しました」(ポツダム)の一文のみで、悲壮感は全くない。金栗は五輪後の欧州行脚で女子体育の振興に目覚めたとされ、はがきからは前を向く姿が浮かび上がる。

 博物館は「当時の金栗を知る貴重な史料」と評価。蔵原隆浩市長は「びっくりするようなお宝が出てきた。大切に保管し、活用していきたい」と話している。 (宮上良二)

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