衰え、不安、遺言…めっきり減った講話 原爆を背負って(73)

西日本新聞

 年間300回を超えていた修学旅行生への講話は、めっきり減りました。2012年の初めに体調を崩し、急性肺炎で3カ月間入院したのが原因です。47キロあった体重も今は44キロほど。体力が戻りません。

 退院してしばらくした12年5月には、背中の硬い塊を取る手術をしました。メスを入れ、えぐり取る。背中を覆う瘢痕(はんこん)は引っ張ると裂けるため、傷口を縫い合わせることはできません。手術のたびに足や尻から皮膚を持ってきて、ふさがないといけないんです。これまでの24回の手術で、私の背中はパッチワークのようになってしまっていました。

 こんな状態ですが、講話の依頼はやってきます。受けられる限りは受けようと思うけどね…。声が思うように出ない。もともと、大きな声は出せませんが、肺炎を患ってからは大きく息を吸うだけで苦しいし、むせてしまう。講話は年に20~30回程度に減りました。

講話の後は長崎原爆被災者協議会の奥の部屋で一服します

 講話の間は立って話します。赤い背中の写真なんかを見せながらですから、後ろに座っている子どもたちにもよく見えるようにね。最近よく言うんです。「私の話を遺言として聞いて、心にとどめてほしい」と。そして「代弁者として伝えてほしい」と付け加えます。

 あの日から、もう68年が過ぎました。今の子どもたちは歴史も、背景も、生活も全く違います。私の話すことのどれほどを理解しているんだろうかと、思うときもあります。でも、同じ人間ですから、人の痛みが分かる心は持っているはずです。それを信じて、講話を続けています。あと何年生きられるか分かりませんからね。一人でも多くの人に被爆者の思いを伝えたい。同じ苦しみを味わう人が出ないように。

 講話を終えると、会長を務める長崎被災協の奥の部屋にこもって一服。「肺炎になる」と家族は怒りますが、たばこだけはやめられません。

 65年ほど前になりますが、旧大村海軍病院に入院中、42度の高熱が3日間続いたことがありました。何をやっても熱が下がらず、医者もお手上げ。それが、同じ病室のおじさんからもらったたばこを吸ってみると、熱が下がった。みなびっくりしていましたね。以来、験かつぎのように吸っています。肺がすーっとして、楽になるんですよ。(聞き手 久知邦)

◆   ◆   ◆

 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

PR

社会 アクセスランキング

PR

注目のテーマ