福島第1原発事故 恐れていたことが現実に 原爆を背負って(74)

西日本新聞

 2011年3月11日、大地震が東日本を襲いました。地震で発生した津波が町や道路をのみ込んでいく。死者・行方不明者は2万人近くに上りました。被災地に広がる廃虚は、長崎の原子野を思い出させました。

 続けて起こったのが、福島第1原発事故。原子炉建屋が爆発で吹っ飛び、放射性物質が大量に放出されました。「恐れていたことが現実になった」。そう思いました。

 原爆に遭った日本がなぜ、原子力に依存するのか。その疑問がずっとありました。核と人類は共存できないと、身をもって知っていたからです。でも、1950年代半ばから始まった原子力発電所の建設計画に、被爆者は反対しませんでした。

東日本大震災で深刻な事故を起こした東京電力福島第1原子力発電所

 みな「核の平和利用」という言葉にだまされていたんだと思います。56年に発足した日本被団協の結成宣言にはこう書かれています。

 「破壊と死滅の方向に行くおそれのある原子力を決定的に人類の幸福と繁栄との方向に向わせるということこそが、私たちの生きる限りの唯一の願いであります」

 福島原発事故の5カ月後、日本被団協は「脱原発」に方針転換しました。これまで、原発反対を唱えなかったのは、核兵器廃絶と国家補償による援護法の実現に全力を注ぐためだったと思います。原発産業に携わる被爆者ももちろんいましたから、原発問題に触れれば運動が分裂する可能性もあったんです。

 私はと言えば、核の平和利用なんてあり得ないと思っていた。当初は反対の声を上げていましたが、徐々に行動しなくなりました。次々に原発が造られていくうちに、学者やマスコミも反対の旗を降ろしていったからです。聞けば、立地県や自治体などに国が金をばらまき、地元住民から声が上がらないようにしているという。自分一人で行動しても何も変わらないからと、あきらめていた部分もあるかもしれません。

 原爆の放射線被害を過小評価したように、国は原発事故の影響も少なく見積もるはずです。黙っていても国は何もしてくれない。私たちがそうだったように、援護を求めて自ら声を上げないといけないんです。

 国が始めた戦争で原爆に遭った私たちと、国が進めた政策で原発の被害に遭った人たち。根っこは同じです。手を取り合って行動できればと思います。(聞き手 久知邦)

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 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

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