たくさんの出会いに励まされて 原爆を背負って(76)

西日本新聞

 今春、代表委員を務める日本被団協に米国から1通のメールが届きました。16歳の高校生からです。将来は政治の仕事をしたいというこの子は、米国史の授業で私の被爆体験を知り、励まされたといいます。「被爆者のみなさんの闘いが無駄にならないように努力することをお約束します」とつづっていました。

 こんなふうに外国から、手紙が届いたり、知らない人が訪ねてきたりすることがよくあります。

 あれは1980年代後半。高校を卒業したばかりの女の子が、ドイツから1人でやってきました。日本語がろくに話せないのにです。ウルリケ・ダマーズと言いました。

自宅を訪れた外国人と一緒に写る私とウルリケ(前列右端)

 ウルリケは、私の半生を描いた小説「The postman of Nagasaki」を読んで、「どうしても会いたくなった」と言いました。半月ほど家に泊め、広島や東京も案内してやりました。彼女はなぜか私を父親のように慕い、「日本に永住したい」と言う。「ドイツに親御さんがいるのに、ちゃんと帰らないとだめだ」と諭しました。

 良い子でしたが、我が強くて困ることもあった。人の言うことを聞かないんです。そんなときは、妻が決まって言います。「言うこと聞かんと、晩ご飯はポテトにするぞ」って。ドイツはジャガイモが主食なのに、彼女はそれが大の苦手。「ノー、ポテト!」と急にしおらしくなるウルリケを見て、妻と笑い合いました。ドイツに帰った後、しばらくは平和運動に携わったと聞いています。

 2010年の核拡散防止条約再検討会議でも、思わぬ出会いがありました。滞在先のホテルを、ニューヨーク在住の日本人女性が訪ねてきたんです。女性向けの雑誌でイラストを手掛けている舘林愛さん(40)。彼女は私のことを「絵本にして伝えたい」と言いました。

 ホテルで背中を見せ、体験を話してあげました。舘林さんはその後も2度、長崎を訪れ、熱心に私のこれまでの歩みを聞いて帰りました。最後に会ったときは、絵もだいぶできているようでした。「米国で出版したい」と言う彼女は頼もしく、うれしく思いました。

 いろんな国、いろんな立場の人が私を通して何かを感じ、行動に移してくれる。たくさんの出会いが、私の活動の力になっているのを実感しています。(聞き手 久知邦)

◆   ◆   ◆

 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

PR

社会 アクセスランキング

PR

注目のテーマ