古里を愛して 毎朝たたく神社の太鼓 原爆を背負って(77)

西日本新聞

 朝起きると、必ずすることがあります。自宅のすぐ下にある烏岩(からすいわ)神社に、ご飯をあげに行くんです。お供えした後は、神社の大太鼓をたたく。毎朝7時ごろに響く太鼓の音は、近所の人たちの目覚まし時計代わりになっているそうです。

 1歳でばあさんに引き取られて以来、長崎市の稲佐山中腹で育ちました。ここが私の古里です。神社はいつも生活のそばにありました。

 世話役の守(もり)を引き受けたのは40年ほど前。それまでお世話をしていた近所の大工さんが年を取り、できなくなったんです。「すみー」と呼んでかわいがってくれたおじさんで、「代わりにあげてくれんね」と、神社の鍵を持ってきた。以来、欠かしたことはありません。海外遊説に行くときは妻が代役。「気安く引き受けて」と愚痴も言いますが、ちゃんと太鼓もたたいてくれていますね。

「キャラメルまき」のときは私も童心に帰ります

 秋になると烏岩神社の大祭「平戸小屋くんち」が行われます。昔はお堂に泊まり込んで前夜祭もやったけれど、今はもうしなくなった。参加者も、祭りの世話をする人も減ったからです。1965年に平戸小屋町が二つの町に分割されて以来、関心が低くなっていくのを感じます。

 住んでいる人が変わったことも原因の一つと思う。平戸小屋くんちは航海の安全祈願のお祭りです。昔は船乗りさんが多く住んでいたから、その家族が必ず神社にお参りに来たんです。89年に長崎漁港が市北西部に移り、引っ越した人も多い。漁船も減りました。昔ながらの人はほとんどいなくなっています。

 それでも、昨秋のくんちには200人が参加してくれました。太極拳など奉納踊りが披露された後、恒例の「キャラメルまき」が始まります。個包装のキャラメルは地面に落ちても汚れないし、子どもたちも喜ぶ。もう20年以上続いていますね。

 長崎港を見下ろす広場で、自治会役員たちが岩の上からキャラメルを投げます。神社の総代代表と自治会長として大祭の進行役を長年務める私も、このときばかりは童心に帰る。子どもたちに交ざって、競ってキャラメルを取ります。

 地元の行事をつなぐことも、この土地に生きた者の役目だと思います。子どもたちが元気に育ち、大きくなっても古里を大事にしてくれる。そうなることを願ってやみません。(聞き手 久知邦)

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 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

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