あの日、何を報じたか1945/8/25【郷土民謡や鎮守祭 強く明るく娯楽建設】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈敗戦の苦悩にゆがむ国民の心に明るい希望の灯をともすため、娯楽面の復活は全国的に急速調で進められている。街灯もともされて闇の街が明るくなり、興行ものも賑やかな幕を開け始めた。一部には遊興街の早急復活さえ唱えられている。だが、ここに注意しなければならぬことは娯楽と遊興を混同してはならぬ一事である。戦敗後に復活する国民娯楽は忍び難きを忍ぶ国民の魂に一面明るい息吹を注入、ここに祖国再起のよりどころを持たせるためのものである。断じて退廃的な「遊び」であってはならない〉

 「戦後生活の明朗化」をどのように実現するか、娯楽と遊興の線引きはどこか-、敗戦間もない日々ではまだ見通せない部分もあっただろう。記事は、九州地方総監府が各県や関係機関に求めている「娯楽」のあり方を、項目ごとに具体的に以下のように挙げている。

 青少年層…無線電信の実用化、乗馬、モーターボート、貸舟、水泳、その他生活科学的な娯楽の普及

 老年層…釣り、投網、猟銃、家庭菜園など趣味と実益を兼ねた娯楽の実践

 一般に対する娯楽…映画、演劇の活用に重点を置き、遊興や淫蕩(いんとう)な娯楽には足を踏み込まない

 地域…郷土演芸の復興を奨励。日向の稗搗(ひえつき)節、鹿児島の棒踊り、阿蘇の虎舞、福岡の黒田節など郷土伝統の民芸を盛んにする。別府などの温泉で工場寮などに転用されているところは元の姿に戻し、一般の施設として活用する。

 添える形で〈脚光浴びる泉都 国際観光地 大別府を実現〉という記事も。

 〈東京その他の大都市が戦災に荒廃した際とて会議地観光地として絶好の地と目されよう。大東亜戦争とともに厚生療養地として変貌したが、今後はさらにこれに加えて明朗健全の観光地、世界の泉境として外貨獲得の一端にも資しようと、市当局ではこれが施策その他について早くも計画を進めているが、県市一体となって国際都市、泉都大別府の実現を期することとなっている〉

 観光地や「会議地」-。現在でいうコンベンション誘致の発想が、既に始まっていた。現在、別府は外国人観光客の人気スポットに育ち、多くの留学生が学ぶ国際的な街に発展した。(福間慎一)

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 〈〉の部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

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