米兵は腹がすはってゐるなあ【軍国少年日記】

西日本新聞

九月一日(土)曇

 今日九時半より屋上にて始業式。後、大掃除。

九月九日(日)雨後晴

 帰りの電車に捕虜が五人位のってゐた。福岡にでも遊びに行ったかへりだらう。外国人を見るのは、これで二度目。最初は高知駅でドイツ人を見たものだった。

九月十日(月)晴

 がっこうかえりに、捕虜が二人で大通りから、米屋の方に行ってゐるのにあった。帽子を右に傾けてかぶって、時々後をみては、ニヤッと笑ふので、気味が悪い。

九月十四日(金)雨後曇

 學校の歸りに、デパートの中で捕虜三人と会ふ。また、デパート前で、タクシーに乗った武装米兵にあふ。捕虜ではないらしい。どこから上陸せしものか。司令部の方に行ったらしい。又、司令部前にて人々がたかってゐたから、みると、米兵が一人、司令部の中の門のところに仁王立ちに立って、ピストルをもって、司令部に出入りする兵隊の武器をとりあげてゐた。僕が十分程見てゐる間に、二人のしょうこうの軍刀をとりあげた。もう一人、米兵の姿が見えた。よくも二人位で司令部にのりこんでて、武器の強奪が出來るんだなあ、米兵は腹がすはってゐるなあと思った。

九月二十六日(水)曇

 父がデパート前でジープをみたといった。將校がのってゐたといふ。

九月二十七日(木)雨

 今日はでんとうがつくやうになった。土曜は各學年ごとに異なった所に遠足といふことになった。雨なれば月曜。食物はどんなものでも持って來てよいとのこと。國民校以来、こんなことは無かったので、うれしい。

十月三日(水)雨

 一日中雨。英語の時間、三原先生から九時半の英かいをプリントしたものをいただいた。大切なものだけおぼえた。

十月十一日(水)風あり雨後曇

 大牟田の進駐は、今日のてい。久留米にはなかなかこない。早くくると面白いがな。米兵をつかまえて、英語の勉強をしてやらう。

十月十五日(月)曇

 久留米の進駐は、明日といふうはさがある。市役所前にジープが一台置いてあった。中に下駄(げた)が置いてあった(新品)。土産にするのだらう。

十月十六日(火)晴

 今日より敬礼の仕方がかはった。先生にたいする敬礼(外)。以前の歩調とれ…はやめて、各個で、だまってきょしゅ注目の礼。歩きつゝしてよい。(内)今まで、とまって十五度の礼又は擧手の礼をしてゐたが、今度は脱帽してしゃくの程度の礼でよいことになった。職員室に入る際は、だまって入ってよい。

十月十七日(水)晴

 畠から歸って、すぐデパート前に行ったら、ジープと上陸用舟艇が來てゐた。舟艇から何か菓子類を投げた。五十人位集まってゐたが、みんな命がけで拾ってゐた。中に明善校の二年生が二人ゐた。実際あさましいことだ。見てゐて涙が出た。

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 【注釈】捕虜…ポツダム宣言受諾に関する調印式終了とともに、国内の捕虜は一斉に解放された▽久留米への進駐…久留米市史によると、米軍が初めて久留米に来訪したのは9月26日、正式の進駐部隊は10月20日に佐世保からやってきたという

 ※福岡県久留米市出身の竹村逸彦さん(89)が14歳だった1945年に書いた「軍国少年日記」を、できるだけ原文のまま掲載しています

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