46303人の名を刻む旅 神屋由紀子

西日本新聞 オピニオン面 神屋 由紀子

 晩夏の夜更け、外から聞こえる虫の声とオンラインでの朗読が重なり響いた。

 アイ・コウキチさん、アイイソ・エミオさん、アイウチ・マコトさん…。

 ひたすら名前だけを読む。いずれもシベリア抑留中に命を落とした人たちだ。75年前の8月23日、旧ソ連の独裁者スターリンは日本人の抑留を命じている。珍しい追悼は今年のその日の夜、始まった。

 基になったのは4万6303人分の名前を収めた「村山名簿」。自身も抑留され、6年前に88歳で他界した村山常雄さんの労作である。なぜそんな気の遠くなるような仕事に取り組んだのか。埼玉に住む妻のカズさん(88)は言う。

 「苦労したことを話したくない人でね。家族にもシベリアの話は一切しなかった」

 酷寒の地で重労働、飢餓にあえぎ、仲間の命が次々と尽きる絶望の日々を村山さんは心の内にとどめてきた。それでもカズさんは毎晩、夫がロシア語でうなされるのを隣で聞いていた。

 結婚から15年後。村山さんに「あんたはシベリアに行かんといかん」と促し、夫婦で新潟から船でナホトカに渡りソ連を巡った。仲間が眠る墓に夫はウイスキーを掛け、帰りの船の甲板で号泣した。カズさんは歌を詠んだ。

 <青春を埋めし土地というハバロフスクに今われ立ちぬ嗚咽(おえつ)する夫と>

 村山さんが名簿を作り始めたのは70歳になってからだ。日に10時間以上、自室にこもり、旧ソ連からの名簿や抑留者団体の記録などを手掛かりに一人一人の名前を確認していく。ロシア人係官の聞き取りには誤記も多い。「ソミタニイ・イスツルン」は染谷勇さんといった具合に特定する地道な作業は10年に及んだ。

 「戦争の犠牲者を悼み、その名を正しく歴史に刻む営為は、生き残った者の当然の責務」との信念からだった。

 朗読は民間団体の企画で、遺族や学生らがリレーして25日夜まで続いた。私も参加し深夜、1時間近くかけて千人の名前を読んだ。声に出すとその人の在りし日の姿がよみがえるような錯覚に陥った。

 国は遺骨収集事業で取り違えが起きても長年、伏せていた。死者を数で扱うような姿勢が招いた失態だろう。それだけに村山さんの死者を悼む長い孤独な旅がしのばれた。

 今夏、故郷新潟にある村山さんのお墓を訪ねた。そのお墓だけ正面が北の日本海を向いて立っていた。波打つ青鈍(あおにび)色の海の先はロシアだ。

 「名もなき兵士」で終わらせてはならない。村山さんの志を継いだ今回の朗読に戦後の未完を思った。 (論説委員)

PR

社説・コラム アクセスランキング

PR

注目のテーマ