「このままでは死ねぬ」シベリア抑留 さまよう魂 1.5万人実態不明

西日本新聞 社会面 久 知邦

 終戦後、旧ソ連に連行され、飢えと極寒の中で命を落としたシベリア抑留者。厚生労働省が犠牲者の死亡日時や場所の調査を行っているが、なお約1万5千人が不明のままだ。強制抑留の実態解明を国に求めたシベリア特措法制定から10年、抑留経験者の平均年齢は97歳になり、遺族の高齢化も進む。「このままでは死ねない」。同省の調査には限界があるとして、法改正を求める声も上がる。

特措法10年「改正し調査を」

 「抑留死亡者は戦没者ではなく拉致被害者。死者にとっても遺族にとっても戦後はまだ続いています」。23日、東京都の千鳥ケ淵戦没者墓苑で開かれた慰霊式典で、抑留経験者の新関省二さん(94)=横浜市=は実態解明が進んでいない現状を嘆き、そう訴えた。

 戦後、帰還者への聞き取りで判明したシベリアなどの抑留者は57万5千人、死者は5万5千人。ロシアから提供された資料で死亡日時や場所が判明した人は4万462人(九州7県は6027人)で、約1万5千人はまだ分かっていない。

 同法制定以降、新たに特定されたのは2011年度の2701人をピークに減少傾向で、19年度は188人にとどまる。厚労省によると、主な提供元のロシア国立軍事古文書館から資料をほぼ取り終えたことが理由。今年からモスクワ以外にも調査を広げるはずが、新型コロナウイルスの影響で暗礁に乗り上げている。

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 山形忠顕さん(82)=東京都=の父求馬(もとめ)さんは旧関東軍の特務機関幹部だった。1945年9月に家族の前でソ連軍に連れ去られ、その後、消息不明に。59年に旧厚生省から受け取った死亡公報では「46年7月1日にソ連ウオロシロフ市で戦病死」とされた。

 抑留者団体を通じてソ連に情報提供を求め続けていた山形さんは、ソ連崩壊後の92年、ロシア大使館に呼ばれ、求馬さんが「戦犯」として46年10月にウラジオストクで銃殺刑になっていたことを知らされた。同時に「何の根拠もなく裁いたもので無実である」という名誉回復書も交付された。

 未特定の約1万5千人は旧陸軍幹部など軍事法廷で裁かれ、処刑か獄中死した人が多いという。山形さんのように身内の最期が判明するケースはまれで、ほとんどの遺族は知らないままだ。裁判記録などは秘密指定されているとみられ、厚労省担当者は「記録がどこにどれほどあるのか、裁かれた人が何人いるかも把握できていない」と話す。

 シベリア抑留研究者の富田武成蹊大名誉教授は、求馬さんら114人が軍事法廷で銃殺刑判決を受けたことを示す会議録を入手し、18年に公表した。同時に厚労省に提供を打診したが、断られたという。富田名誉教授の情報を基に同省が同じ資料を入手し、山形さんに内容を伝えたのは今春。2年の時が費やされた。

 富田名誉教授は「厚労省に自前で調査する力はない。われわれ専門家と協力しないと実態解明できるはずがないのに、個人情報を理由に拒む」と憤る。

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 現地に埋葬された遺骨の問題も残る。これまでに収集できたのは死者の半数に満たない約2万2千柱。昨年には、外国人の遺骨と日本人の遺骨を厚労省が取り違えていたことも判明した。ごみが散乱するなど埋葬地が荒廃しているところも少なくないという。

 シベリア抑留者支援センターの有光健代表世話人(69)は「問題は山積しており厚労省だけでは手に負えない。国全体で取り組むように特措法を改正し、ロシア政府を動かさないと実態解明は進まない」と話す。

 山形さんは昨年、父の軍歴の訂正を都に求め、死亡理由が戦病死から公務死に改められた。今月には戸籍の死亡日時や場所の訂正も家庭裁判所に許可された。「ようやく父も浮かばれる。ただ、これで終わりじゃない。何としても遺骨を収得したい」 (久知邦)

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