「百薬の長」に本音あり

西日本新聞 オピニオン面 上別府 保慶

 第1次大戦の時、日本から欧州へ向かう航路は危なかった。途中に敵国ドイツの海軍が出没したからだ。

 1917年、日本郵船の常陸(ひたち)丸はインドを経由し南アフリカのケープタウンに向かう途中で、ドイツの巡洋艦ヴォルフ号に砲撃され、乗客は捕虜となり積み荷を奪われた。

 そのヴォルフ号が洋上で味方の潜水艦に出合い、士官を招いて宴を催した。常陸丸から押収した日本のビールを出したところ、士官たちはラベルを見て落胆した。彼らにすればドイツビールこそが本物だからだ。

 ところが一口飲んで目を見開いた。そして表情を緩めると喉を鳴らして飲み干した。明治に本格的な醸造が始まった和製ビールは、大正の頃には本場に負けぬ域に達していたのである。

 今、コロナ禍による飲食店の休業や営業短縮で、ビールの売れ行きが悪い。今月に大手メーカー4社が出した中間決算は、1社が赤字、3社が大幅な減益だった。各社とも飲食店の需要回復はしばらく見込めないため、家庭向けの安価な「新ジャンル」(第三のビール)に力を入れる構えだ。

 この新ジャンル。ビールに似せて開発された、いわば代替品ながら、かつてドイツの潜水艦乗りをうならせた技術力は健在で、味の評価は高い。350ミリリットル缶の場合、かかる酒税はビール77円、発泡酒46・99円、新ジャンル28円とかなり差があり、これが値段の違いにも反映している。

 ところが今、酒を扱う量販店に行くと「10月より新ジャンルが増税」の札がある。税収減を補うために酒税法が改正され、ビールの税は350ミリリットル缶で70円に下がる代わりに、よく売れている新ジャンルの税は37・8円に上がるという(発泡酒は変わらない)。

 古来、酒には政治がよく絡む。「酒は百薬の長」という言葉がある。一見ありがたいが、これには権力の側が飲み助から金を召し上げる魂胆が隠れている。

 この言葉を発したのは古代中国の王莽(おうもう)。漢王朝を倒して「新」という短命政権を始めた時に、塩や鉄とともに酒も専売にした。しかし役人が制度を悪用して私腹を肥やし、民衆にはまことに評判が悪い。そこで、専売制は大切な物を管理する制度だぞよ、となだめたのがこの言葉だった。

 酒と財政の縁は切っても切れない。「目には目を」で知られるかのハンムラビ法典にも、ビールの売り買いについて細かな取り決めが刻まれているほどだ。

 話を元に戻す。酒税の変更は今後も段階的に進み、ビール、発泡酒、新ジャンルは6年後の10月にすべて「発泡性酒類」となり、税額も統一されていく。左党にとっては飲まぬうちから目が回る歳月が始まる。

 (特別編集委員・上別府保慶)

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