あの日、何を報じたか1945/8/28【捨てよ『楽な生活』の夢 街に多い不健康な明るさ 敗戦の現実直視、拓け苦難の道】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈飛行機も来ない、灯火管制も解除された。家庭では深夜でも電灯はつけっ放し、レコードやピアノの音が朝から聞こえ、隣組には毎日のように配給品がそばだってきて主婦たちを戸惑わせ、開店休業の会社員や事務員は買い出しに出かけ、今まで見たこともない果実がどこからともなく出てきて公然と闇取引される。これがこの間まで生きるか死ぬかの戦争を戦ってきた国民の姿だろうか。これらは明るい表情というにはあまりに不健康な明朗さである〉

 「唇噛んで生き抜こう」などの終戦直後の万感はもう潜まりつつあったのか。人々の暮らしぶりに警鐘を鳴らす記事だが、そこからは終戦直後の街の雰囲気が生き生きと伝わってくる。

 〈先日も食用油の配給があった。すると「今までは機械油にしていた食用油だから、これからもちょいちょい配給があるでしょう」と言った者があった。「これからは靴とか、鍋釜は余るだろう。燃料も野菜もたくさん出回るでしょう」と物知り顔に言う者もいた。(中略)これらの人々はわれわれが敗戦国民であることを忘れてしまっている。ゼロをいくつもいくつも並べた賠償金や造れども造れども支払いきれぬ現物賠償を背負わされていることを知らないのだ〉

 記事は、さらにこれでもかとばかりに厳しい見通しを並べている。

 〈これから先、民需物資の生産が最小限度にとどめられることは当然であり、生産禁止になるものさえあろう。賠償物資の生産に重点が置かれる以上、豊かな生活などとても望めるはずはない。食生活も朝鮮満州、支那からの輸入杜絶、そこへ内地人口の増加と進駐軍への食料供給などを考慮すれば国民生活の前途がいかに惨めなものであるかは容易に想像がつく〉

 〈食料は今後各人で絶対に自給する態勢がほしい。なんでもよいから食べられるものを作ることだ。(中略)戦災者に対する関心と同情も薄らいできていはしないだろうか。「ああ焼けずによかった」と自分のことばかり考えている人はいないか〉

 そして、記事の締めくくりではこう言及している。

 〈現実に目を覆ったことがわれわれの敗戦の一つの原因であった。(中略)甘い夢を捨ててしっかと腹を据えなければならぬのは今だ〉(福間慎一)

   ◇    ◇

 〈〉の部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

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