原爆投下後、校庭で焼いた遺体 当時13歳「あのにおいは…」

西日本新聞 長崎・佐世保版 西田 昌矢

忘れぬ感覚 体験者の証言から(2)

 長崎市矢の平の浦川勝さん(88)は原爆投下後、伊良林国民学校(伊良林小)に置かれた救護所に運ばれてそのまま亡くなった人たちを荼毘(だび)に付した経験を持つ。当時、遺体を焼いたにおいは、今も言葉が見つからない。「あのにおいは、口で説明できるものではないですよ」

 救護所は被爆後の市内各地に設置された。無事だった浦川さんは当時13歳ながら救護作業に駆り出され、けが人が運ばれてくる学校の体育館では常時30~40人が手当を受けた。医療器具は乏しく、多くが手当てのかいなく亡くなった。「無力だった」と振り返る。

 遺体は3人がかりで校庭に運び、民家の廃材をまきにして焼いた。燃えにくい内臓は腹にとがった竹を刺して火を付け、その様子を見ながら差し入れのおにぎりを食べた。極限下で感覚がまひしていた、と思う。その後、日本に戦禍は訪れず75年の歳月が流れ、市井の人が遺体を焼くようなことはなくなった。

 長崎を離れて都会で暮らしていたが地元に帰り、5年ほど前から、自らの体験を市民や修学旅行生に伝える証言活動を始めた。老人ホームの入居者など当時の惨状を知る人に話すと真剣な表情で聞き入ってくれる。一方で、高校や大学生たちの反応は鈍い。それは平和な世の中になったからか。「今となっては、私の体験は現実味がないのだろう」

 だからこそ、続けている活動。その中で時折、遺体を焼いた時のにおいをどう伝えようかと思案するが、魚や肉を焼くにおいはしっくりしない。火葬場に漂うにおいとも異なる…。戦争の悲惨さをもっと多くの人が共有してほしいと願う。

 「あの時のことが忘れ去られ、再び戦争への道を進んでほしくない」

 (西田昌矢)

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