「自粛警察」 自分の中にある全体主義的心性に繊細になろう

西日本新聞

 コロナ禍以降、従来の右派/左派というイデオロギーでは理解しきれない現象が続いている。普段は国家権力の強制に懐疑的な左派が、緊急事態宣言やロックダウンを求め、政府の生ぬるい施策を批判する。一方、緊急事態条項の必要性を訴えていた右派が、緊急事態宣言の発動を批判し、社会活動の自由を訴える。彼らは疫学的観点から「ステイホーム」を呼びかける人たちを「日本経済の破壊者」とみなして攻撃する。両者の間では、ねじれた対立が続いている。

 さらに位置付けの難しい現象が、「自粛警察」である。行政が外出や営業の自粛要請をする中、それに応じない店舗や個人に対して、過剰な抗議を行っている。マスクを着用していない人を糾弾し、他都道府県ナンバーの自動車にいやがらせを行う。彼ら・彼女らは人命尊重を主張しているのか、それとも国家の要請に従わない人を攻撃しているのか。

 この現象は、戦中の「隣組」を想起させるため、世間という「同調圧力」の問題として論じられることが多い。九州工業大学名誉教授の佐藤直樹は「日本世間学会の研究者に聞く、日本に『自粛警察』が生まれる理由」(朝日新聞GLOBE+、7月11日)の中で、日本に存在する「世間のルールを守れ」という同調圧力に注目する。この力学に反すると、世間に反する逸脱行為とみなされ、相互監視が加速する。法的根拠がないにもかかわらず、権利や人権が無視されて、「世間が事実上の処罰をおこなっている」。

 一方、ノンフィクションライターの石戸諭は、具体的な担い手に着目し、当人へのインタビューを試みる(「自粛警察…小市民が弾圧者に変わるとき」『文藝春秋』8月号)。

 石戸が注目したのは、ユーチューブに動画を投稿する26歳の青年だ。「令和タケちゃん」と名乗る男性は、パチンコ店前で行列を作る人たちに対して「家に帰れ、この野郎」と叫び、その様子を動画サイトにアップする。

 石戸は、彼に直接取材し、そのいきさつを明らかにする。石戸が戸惑うのは、「オンライン上の激しい暴言」と「オフラインでの生真面目さ」のギャップである。青年は東京都内の建設系会社に勤める会社員で、「物腰は柔らかく、人当たりも悪くない」。会社では好かれるタイプの礼儀正しい好青年だという。

 そんな青年が振りかざすのは、「行き過ぎた正義感」である。「みんなが協力している中で、遊びに行っている人は、自分さえ良ければいいと思っています」と語り、世間が自粛する中、パチンコ店に行列を作る人たちの態度は「どうしても許せない」という。

 青年が「自粛警察」動画をつくるきっかけは、「NHKから国民を守る党」(N国党)の立花孝志からの影響であるという。立花はNHKに関する過激な動画により知名度を獲得し、2019年の参議院選挙の全国比例で当選した人物である。その立花が、共産党の選挙活動を批判する青年の動画を称賛したことがきっかけで、「物議をかもすスタイルを極めれば、関心を集めることができるだろう」と思ったという。しかし、立花は都知事選出馬の際、「いき過ぎたコロナ自粛に反対するために立候補を決めた」と発言しており、立場は真逆である。一体、青年はどこに立っているのか。

 彼の過去の動画を分析した石戸は、その国家観を「右派そのもの」と見る。一方、「そのベースになっているのは『社会の不条理を放置したくない』『けしからん』『ズルを許せない』という感情以外にない」。本人も「社会観は左派」と自称する。

 全体主義の特質は、イデオロギー性の欠如にある。逆を返せば、どのようなイデオロギーとも結びつくのが、その特徴と言える。

 私たちが繊細にならなければならないのは、自分の政治的立場ではなく、自分の中にある全体主義的心性である。精神的に追い詰められ、言語化できない苛立(いらだ)ちが他者に向かうとき、多様な人たちの多様な事情への配慮が欠落する。そこにイデオロギーを超えた全体主義への入り口があるのだろう。連帯と強迫をはき違えてはならない。

(中島岳志 なかじま・たけし=東京工業大教授)

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